七五三



11月15日は伝統行事七五三です。昔はよくあったのですが、数字だけを並べたネーミングです。アメリカ独立記念日は通称July 4thという日付で呼ぶのと同じで、誰にもピンとくる共有文化といえます。英語でseven-five-threeと言ってもコンビニの名前と誤認されるだけです。どうやらShichi-Go-Sanのように日本語のままのようです。しかし英米人は日本語の数字など知らないので、サンが人名の敬称であることは知っていて、誰かの名前だと思うだけです。日本人なら三歳・五歳・七歳の祝いであることは知っていますし、男子が五歳、女子が三歳と七歳という習慣ですが、今では性別もなくなりつつあります。本来は数え年三歳(満年齢2歳)を「髪置き」とし、主に女児が行い、数え年五歳(満年齢4歳)を「袴着(袴儀)」として男児が行い、数え年七歳(満年齢6歳)を「帯解き」(紐解き)として女児が行う習慣でした。江戸時代3歳までは髪を剃る習慣があったため、それを終了する儀式で、5歳で男子が袴を着用し始め、女子7歳で女子が付け紐から大人と同じ幅の広い帯を結び始める儀式でした。
服装が替わることで徐々に大人の仲間入りしていく自覚を持たせることが目的でした。
シチゴサンという表現が示すように七をシチと読む関東の風習です。由来は天和元年(1681)11月15日に館林城主である徳川徳松(徳川綱吉の長男)の健康を祈って始まったとされています。15日は二十八宿の鬼宿日(鬼が出歩かない日)に当たり、何事をするにも吉であるとされ、11月は収穫を終えて実りを神に感謝する月であり、また子(ね)の月という始まりの月の満月である15日というめでたい日に、氏神様へ感謝と子供の成長加護を祈るようになった江戸時代に始まった神事でした。従って旧暦の数え年で行うのが正式で、日付も本来なら旧暦ですが、明治以降に新暦に変更されました。着物も本来の決まった和装で両親も和装で神社に参拝します。記念写真を撮る習慣は無論、近代のものです。伝統も時代変化した結果であることがわかります。
千歳飴(ちとせあめ)は長寿を願う縁起物で、紅白のめでたい色に染められ鶴亀や松竹梅などが描かれた千歳飴袋に入れられています。現在ではキャンディメーカーがいろいろ出していますが、地元の老舗菓子屋が定められた手順で作った千歳飴を神社に納め、お祓いを受けてから店頭に並べるのが本来の姿です。
変わったところでは発祥の地、茨城県では長男の七五三を結婚式場を借りて盛大にお祝いすることもあるそうです。招待された客もそれに応じた装束とお祝いをもっていきます。服装を変える始まりは平安時代の公家の文化であったものが江戸時代に武家の文化となり庶民にも広がっていった関東中心の行事でしたが、今では日本全国に広がりどこの神社でもするようになりました。

七五三

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