世界哲学の日
今年の11月17日(第3木曜日)は世界哲学の日World Philosophy Dayです。2002年11月21日に初めて実施され、目的は人類が直面している課題により効果的に対応するために哲学的分析・研究を促進すること、グローバル化や近代化への影響で生じる問題に対して哲学の重要性の認識を高めること、次世代のための哲学教育の重要性を強調することなどとなっていて、2005年のユネスコ総会で「世界哲学の日」を11月の第3木曜日に実施することが宣言されました。ちなみに日本には別の哲学の日があり4月27日になっています。由来は紀元前399年のこの日、古代ギリシアの哲学者ソクラテスが、時の権力者から死刑宣告を受けて、刑の執行として獄中で毒を飲んで亡くなったことです。ソクラテスの思想は弟子のプラトンやクセノポン、アリストテレスなどの著作を通じて知られています。ソクラテスの妻であるクサンティッペが悪妻として有名であったことから同日4月27日は「悪妻の日」となっているそうです。(wikipedia)ソクラテスの命日が哲学の日の由来であることはすぐにわかりましたが、誰が制定したのかは検索できませんでした。もっともこうした謎を解くべくいろいろ調べて考察することが「知を愛すること」という哲学の原義ですから、わかるまで調べるのがいいのかもしれません。哲学というと難しい、という印象が広がっていますが、それは哲学者と称する専門家がむずかしい表現で説明したことによるもので、これはどの学問分野にもある専門用語だけで専門家同士が議論することが原因です。しかし哲学以外の学問分野は医学や社会学、経済学というように名前から漠然とでも想像できますが、哲学だけは何の学問なのか想像できないことも原因しています。言い換えると哲学そのものの定義が曖昧のままで研究対象が一定していなことです。英語のphilosophyは哲学以外に理念とか思想という訳語もあり、少しだけ身近に感じられます。学位にPh.D=Doctor of Philosophyというのがあり、訳語は哲学博士ではなく日本では博士(学術)となっていて、あらゆる分野を包括する分野になっています。日本の哲学者たちは何か高尚な考察を行っているような意識があるようですが、そのせいか日本の大学の哲学の講義は哲学史ばかりで、自分で思考する技術は教えません。欧米では哲学は教養科目として必修で学問するための必要なツールです。「何のため」という学問の目的を学ぶのですが、日本は「どうやって」ばかりを考える思考方法に偏っています。社会もhow toばかり考えてwhyを考える習慣がなくなり、将来計画とか社会貢献などが忘れ去られるという結果になってしまいました。受験勉強も合格のための詰め込みに集中するあまり、なぜそこを受験するかという目的を見失っている人が増えすぎました。落ちこぼれるとどうにもならなくなります。哲学せよ、日本人。
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