Tacoma(タコマ)

十三夜の月のイラスト

5号線を北上していくと、シアトルに着く手前にタコマを通ります。アメリカ北西部のワシントン州に位置するタコマは、シアトルの南約50キロにある港湾都市です。人口は約22万人で、シアトル都市圏を構成する重要な都市の一つですが、日本人にとっては単なる地方都市以上の意味を持っています。実はタコマは、19世紀末から現代に至るまで、日本と深い関係を築いてきた「太平洋の玄関口」の一つなのです。タコマの発展は、1883年に北太平洋鉄道の西部終着駅に選ばれたことから始まりました。アメリカ大陸を横断する鉄道が太平洋岸に到達したことで、タコマ港はアジアとの貿易拠点として急速に成長しました。特に日本との航路が開かれると、生糸や茶、工芸品などがタコマを経由してアメリカ各地へ運ばれるようになります。

19世紀末から20世紀初頭にかけて、多くの日本人移民がタコマ周辺に定住しました。彼らは漁業、農業、商業などに従事し、地域社会の発展に大きく貢献しました。しかし、その歴史は決して平坦なものではありません。1885年には中国系住民が排斥される「タコマ暴動」が発生し、その後もアジア系住民への差別が続きました。日本人移民もまた厳しい環境の中で生活を築いていったのです。

第二次世界大戦は、タコマの日系社会に大きな試練をもたらしました。1942年、日本軍による真珠湾攻撃後、多くの日系アメリカ人が強制収容所へ送られました。タコマ周辺の日系住民も例外ではなく、築き上げた財産や地域社会とのつながりを失うことになります。しかし戦後、多くの日系人が再びこの地に戻り、地域社会の再建に尽力しました。

戦後になると、日本との関係は移民だけではなく経済面でも強まっていきます。タコマ港は現在、シアトル港と並ぶアメリカ西海岸有数の国際港湾です。特に自動車輸入港として知られ、日本メーカーの車両が大量に陸揚げされています。港を訪れると、日本製の自動車が広大なヤードに並ぶ光景を見ることができます。トヨタ、日産、ホンダ、スバルなど、日本企業の存在は地域経済にも大きな影響を与えています。

また、タコマは日本文化への関心も高い都市です。市内では桜祭りや日本文化イベントが開催されることがあり、日本庭園を備えた施設もあります。ワシントン州全体としても日本との交流が盛んで、姉妹都市交流や教育交流が続けられています。

タコマを語る上で忘れてはならないのが、背後にそびえるレーニア山です。標高4,392メートルの雄大な山は、市内の至る所から眺めることができ、晴れた日にはまるで浮かび上がるような姿を見せます。先住民の言葉に由来する「タコマ」という地名も、もともとはこの山を指した名称だったとされます。日本人にとって富士山が特別な存在であるように、レーニア山はタコマ市民の精神的な象徴となっていて、「タコマ富士」という異名もあります。 近年のタコマは、港湾都市としてだけでなく文化都市としても再生を遂げています。かつて工業都市のイメージが強かった中心部には、美術館や博物館が整備されました。特にガラス工芸で知られる施設は国内外から多くの観光客を集めています。歴史的な倉庫街を再利用した地区にはレストランやカフェが並び、若い世代の移住も増えています。タコマは観光都市としてはシアトルほど有名ではありません。しかし、その歴史をたどると、太平洋を挟んだ日本との交流、移民の苦難と成功、そして国際貿易の発展という壮大な物語が見えてきます。港に並ぶ日本車や地域に残る日系人の足跡は、遠く離れた日本とこの街が長い年月をかけて結びついてきた証しです。タコマはまさに、太平洋を越える人と物、そして文化をつなぐ架け橋の役割を果たしてきた都市なのです。

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