「スペイン人が切り開いた北米大陸」 第3回 黄金の七都市を追って ― コロナド遠征の真実

16世紀前半のスペインでは、「北方には黄金で築かれた都市が存在する」という噂が人々の想像力をかき立てていました。その伝説は「シボラの七つの黄金都市」と呼ばれ、多くの探検家が夢を抱くきっかけとなります。この伝説を信じて北米大陸最大級の探検を行った人物が、フランシスコ・バスケス・デ・コロナドでした。彼の遠征は黄金こそ発見できませんでしたが、現在のアメリカ南西部の地理を大きく明らかにし、後世に大きな足跡を残しました。
伝説の始まりは、前回紹介したアルバル・ヌニェス・カベサ・デ・バカの体験談でした。1528年のナルバエス遠征で遭難した彼は、8年に及ぶ放浪の末にメキシコへ帰還します。その途中で耳にした「北方には石造りの豊かな町がある」という話が誇張され、「黄金に輝く七つの都市」という伝説へと発展したのです。
1540年、当時30歳ほどだったコロナドはヌエバ・エスパーニャ副王の命を受け、約300人のスペイン兵と1,000人を超える先住民の協力者、さらに馬や牛、羊など数千頭の家畜を伴って北へ向かいました。これほど大規模な探検隊は当時としては前例がなく、まるで移動する町のような壮大な隊列だったと伝えられています。
遠征隊は現在のメキシコ北部からアリゾナ州、ニューメキシコ州へと進み、ついに「シボラ」と呼ばれた集落へ到着します。しかし、そこで彼らを待っていたのは黄金の都ではなく、アドベ(日干しれんが)で造られたプエブロ族の集落でした。確かに石造りの建物は並んでいましたが、金銀財宝はほとんど存在せず、探検隊は大きな失望を味わいます。
それでもコロナドは探検を続けました。ニューメキシコでは冬を越し、その後さらに西へ調査隊を派遣します。この時、ガルシア・ロペス・デ・カルデナス率いる一隊がヨーロッパ人として初めてグランドキャニオンを目にしたと考えられています。彼らは眼下を流れるコロラド川まで下りようとしましたが、切り立った断崖に阻まれ、断念せざるを得ませんでした。現在では世界有数の観光地となったグランドキャニオンも、この時初めてヨーロッパ人の記録に登場したのです。
さらに探検隊は東へ向かい、現在のテキサス州、オクラホマ州を横断し、広大なグレートプレーンズへ到達しました。果てしなく続く草原には数え切れないほどのバイソンが群れをなし、スペイン人はそれまで見たことのない景色に驚いたといいます。彼らが記録したバイソンの群れは、後に北米内陸部を象徴する風景として知られるようになります。探検隊はさらに「キビラ王国」と呼ばれる新たな黄金都市を目指し、現在のカンザス州付近まで北上しました。しかし、そこにも黄金はなく、農耕を営む先住民の集落があるだけでした。こうして約2年に及ぶ遠征は、期待した財宝を一つも得られないまま終わりを迎えます。
経済的には失敗と見なされたコロナド遠征ですが、その成果は決して小さくありませんでした。アリゾナ、ニューメキシコ、テキサス、オクラホマ、カンザスに至る広大な地域の地理や河川、気候、先住民族の生活が詳細に記録され、ヨーロッパに初めて紹介されたのです。また、探検隊が持ち込んだ馬や家畜は、その後の北米文化にも少なからぬ影響を与えました。
現在、コロナド遠征の足跡は各地でたどることができます。アリゾナ州やニューメキシコ州には遠征に関する史跡が残り、アメリカ国立公園局が管理する「コロナド国立記念碑」では、彼らが越えた国境地帯の景観を眺めることができます。また、プエブロ族の集落跡は世界遺産にも登録され、16世紀当時の人々の暮らしを今に伝えています。
コロナドは黄金を見つけることはできませんでした。しかし、彼の遠征は「伝説を追う冒険」から「未知の世界を記録する探検」へと時代を変える転機となりました。幻の黄金都市は存在しませんでしたが、その旅によって北米南西部の姿は初めて世界に知られることとなったのです。
次回予告
次回は、フロリダからアメリカ南東部へと進み、ヨーロッパ人として初めてミシシッピ川を記録したエルナンド・デ・ソトの遠征を紹介します。栄光を夢見た探検家が見た広大な北米の姿とは、どのようなものだったのでしょうか。
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