日本史と世界史で読み解く 北米建国物語 第3回 家康が江戸幕府を開いた頃、北米でも新しい社会が始まった― 江戸の町とジェームズタウン、二つの「新しい都市」 ―

1603年、徳川家康が征夷大将軍に任命され、江戸幕府が成立しました。この出来事は、日本史では「戦国時代の終わり」として扱われます。しかし、同じ年を北米史の視点から見ると、もう一つ興味深いことが見えてきます。それは、北米でもヨーロッパ人による「新しい社会づくり」が本格化しようとしていたことです。
日本では、戦乱を終わらせるために徳川家康が政治制度を整え、江戸を中心とする新しい国家秩序を築き始めました。一方、北米では、まだ国家と呼べるものは存在していません。ヨーロッパから渡ってきた人々が、先住民族の社会の中に新しい集落を作り、そこから植民地社会を形成していこうとしていました。
1603年から17世紀半ばまでを眺めると、日本では「既存の社会を安定させる仕組み」が作られ、北米では「新しい社会を作る仕組み」が試行錯誤されていたという違いが見えてきます。
・江戸は最初から大都市だったわけではない
現在、東京は世界最大級の都市圏を形成しています。しかし、1603年当時の江戸は、まだそれほど大きな町ではありませんでした。徳川家康が江戸に本拠を置いたのは1590年。当時の江戸は、武蔵国の一地方都市にすぎませんでした。家康は江戸城を大改修し、城下町の整備を進めます。そして幕府成立後、諸大名に江戸城や城下町の建設を命じ、大規模な都市整備を進めました。武家屋敷、町人地、寺社などが計画的に配置され、人口は急速に増えていきます。17世紀後半には、江戸は世界最大級の都市へ成長しました。18世紀には人口が100万人を超えたとされ、ロンドンや北京と並ぶ巨大都市となります。これは、世界史的に見ても驚くべき都市発展です。
・その頃、ジェームズタウンでは何が起きていたのか
江戸が都市として発展し始めた頃、北米では1607年にジェームズタウンが建設されました。しかし、江戸とはまったく違う出発点でした。江戸は、長い歴史を持つ日本の政治・経済ネットワークの中で成長しました。
一方ジェームズタウンは、海を越えてきた人々が、ほとんど何もないところから新しい集落を作ったのです。もちろん、実際には「何もない土地」ではありません。そこにはパウハタン連合をはじめとする先住民族が暮らしていました。ヨーロッパ人から見れば「未開の土地」に見えたとしても、そこには独自の政治、経済、宗教、文化を持つ社会が存在していました。この点は、北米史を考える上で非常に重要です。「植民地の建設」は、無人の土地を開拓した物語ではありません。既にそこに暮らしていた人々の土地に、ヨーロッパ人が新しい社会を持ち込んだ歴史なのです。
・江戸とジェームズタウン、決定的に違った「人口」
江戸とジェームズタウンを比較すると、驚くほど規模が違います。17世紀初頭の江戸には、すでに日本各地から人々が集まっていました。大名、武士、職人、商人、農民、寺社関係者など、多様な人々が存在します。一方、ジェームズタウンの入植者は最初わずか100人余り。しかも、その多くは男性でした。食料を生産する農民が少なく、病気や飢餓によって人口が大きく減少しました。そのため、ジェームズタウンは存続そのものが大問題だったのです。
江戸が「巨大な既存社会を再編成して作られた都市」だったのに対し、ジェームズタウンは「小さな集団が未知の環境で生き残るために作った集落」でした。
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