日本史と世界史で読み解く 北米建国物語 第6回 吉宗の改革と十三植民地の発展(3)

十三夜の月のイラスト

― 江戸の財政再建と、大西洋を渡って成長する北米 ―

ペンシルベニアは「穀物の植民地」

中部植民地では、さらに異なる経済が発展しました。ペンシルベニアは肥沃な土地に恵まれ、小麦などの穀物生産が盛んでした。フィラデルフィアは重要な港となり、農産物をヨーロッパやカリブ海へ輸出します。こうして十三植民地は、地域によって異なる経済を持つ社会へと発展していきました。これは後のアメリカ合衆国にとって重要な特徴となります。

南部は農業。

ニューイングランドは商業・海運。中部は農業と都市商業。異なる地域が経済的に結びつくことで、一つの大きな市場が形成されていきました。

日本と北米、経済構造の違い

ここで両者を比較してみましょう。江戸時代の日本は米を中心とした年貢制度。全国的な市場。大阪の米市場。商人の発達。商品作物の増加。銀・銅などの貨幣。国内交易が中心でした。

十三植民地は農産物・木材・魚などの商品輸出。大西洋貿易。港町の発展。海運業。植民地間交易。イギリスとの貿易。奴隷貿易・奴隷制との結びつきが中心でした。

日本は、「国内市場を深くする」方向へ進みました。

北米植民地は、「大西洋世界へ経済を広げる」方向へ進んだのです。

しかし、北米にも「本国」があった

ここで重要な問題が出てきます。十三植民地は経済的に成長していました。しかし、政治的にはイギリス国王の植民地です。植民地の商人は自由に世界と取引できるわけではありません。

イギリス政府は「重商主義」という考え方に基づき、植民地経済を本国の利益に結びつけようとしていました。代表的なのが「航海法」です。植民地の貿易をイギリス船中心にするなど、本国の商業利益を守る仕組みが作られました。植民地側はこうした規制に不満を持ちながらも、イギリス帝国の一部として経済的な利益も得ていました。この「利益と不満の共存」が重要です。植民地人はイギリスから独立したいと最初から考えていたわけではありません。むしろ多くの人々は、「イギリス人としての権利を認めてほしい」と考えていたのです。

日本では商人の力が強くなる

同じ18世紀、日本でも商人の社会的・経済的な力が増していました。三井家などの豪商が活躍し、金融や流通を支配するようになります。大阪では堂島米市場が発達し、米の先物取引が行われました。これは世界的に見ても非常に先進的な金融市場です。つまり、江戸時代の日本も、決して「物々交換の農業社会」ではありませんでした。高度な商業・金融システムが存在していたのです。

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