日本史と世界史で読み解く 北米建国物語 第7回(4) 田沼時代、日本は商業、北米は自治へ

十三夜の月のイラスト

― 田沼意次とベンジャミン・フランクリンの時代 ―

・田沼意次の日本では何が起きていたのか

この頃、日本では田沼意次の政治が展開されていました。田沼は商業を重視し、株仲間を利用して経済を活性化させようとしていました。

一方、北米では、「本国が経済活動を制限することへの反発」が政治運動へ発展しています。

ここには非常に興味深い違いがあります。

田沼は、「商人の経済力を利用して国家財政を豊かにする」ことを考えました。

北米の植民地人は、「自分たちの経済活動に、本国が勝手に介入するな」と考えるようになりました。同じ商業社会の発展でも、政治との関係はまったく違ったのです。

・田沼政治とアメリカ独立の意外な共通点

しかし、二つの社会には共通点もあります。それは、「商業が社会を変え始めていた」ことです。

江戸では商人が豊かになり、金融や流通を支配するようになりました。

北米では商人や農園主が大西洋貿易で富を蓄積しました。

旧来の身分秩序や政治制度だけでは、こうした経済の変化を十分に説明できなくなっていました。つまり18世紀後半は、日本でも北米でも、「経済社会の変化に政治制度が追いつけるのか」という問題が浮かび上がっていた時代だったのです。

・フランクリン、そして「自治」から「独立」へ

フランクリンは、当初から必ずしもイギリスとの完全な分離を望んでいたわけではありません。彼は長く大英帝国の中で植民地の権利を認めてもらうことを模索していました。しかし、本国政府との対立が深まるにつれて、考え方は変化していきます。

1774年、彼はイギリスから帰国し、植民地側の指導者として活動します。

1775年に独立戦争が始まると、フランスからの支援を得るため外交活動を行いました。フランスとの同盟を成立させたことは、アメリカ独立に極めて大きな意味を持ちました。科学者としても、出版人としても、政治家としても活動したフランクリンは、まさに18世紀の「新しい人物」でした。

・日本では「蘭学」が広がっていく

同じ18世紀後半、日本でも海外の知識への関心が高まっていました。オランダ語を通じてヨーロッパの医学や科学を研究する「蘭学」です。1774年には杉田玄白、前野良沢らによる『解体新書』が刊行されます。人体の構造を西洋医学の知識に基づいて紹介した画期的な書物です。ここには、江戸時代の日本社会が決して世界から完全に切り離されていなかったことがよく表れています。

日本は海外との政治的・宗教的接触を厳しく管理する一方、「役に立つ知識は取り入れる」という姿勢を持っていました。

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