日本史と世界史で読み解く 北米建国物語 第8回 アメリカ独立 日本は田沼から寛政へ

― 独立宣言と寛政の改革、二つの社会が「政治の立て直し」に向き合った時代 ―
18世紀後半、世界は大きな変化の時代に入っていました。
ヨーロッパでは啓蒙思想が広がり、王権や身分制度について新しい考え方が生まれています。
北米では、イギリス植民地の人々が本国政府との対立を深めていました。
そして1776年7月4日、十三植民地は「アメリカ独立宣言」を採択します。
一方、日本では江戸幕府が依然として存続していました。
田沼意次の政治が終わり、1787年には松平定信が老中となって「寛政の改革」を始めます。
つまり同じ時代に、アメリカでは「新しい国家を作る」という革命が起こり、日本では「古い政治体制を立て直す」という改革が行われていたのです。
この二つを比較すると、日本とアメリカがその後まったく違う政治体制へ進んだ理由が見えてきます。
・1776年、アメリカが独立を宣言する
1775年4月、レキシントンとコンコードでイギリス軍と植民地民兵が衝突しました。アメリカ独立戦争の始まりです。当初、植民地側の多くの人々は、イギリス国王そのものに反対していたわけではありません。彼らが求めていたのは、植民地住民としての権利でした。
しかし戦争が始まり、イギリス政府との対立が深まるにつれて、「もうイギリスの一部ではなく、自分たちの国を作るべきではないか」という考え方が広がっていきます。その思想を強く後押ししたのが、トマス・ペインの『コモン・センス』でした。1776年1月に出版されたこの小冊子は大きな反響を呼び、君主制そのものを批判し、独立を主張しました。そして同年7月4日、第二次大陸会議は独立宣言を採択します。
・「すべての人は平等」という革命的な言葉
独立宣言で最も有名な部分の一つが、「すべての人は(神の下に)平等に造られている」という理念です。生命、自由、幸福の追求は、人間が本来持っている権利であり、政府はその権利を守るために存在する。政府が権利を侵害するなら、人民には政府を変える権利がある。これは当時としては非常に大胆な考えでした。王が政治を行うのが当然とされていた時代に、「政府の正当性は人民の同意から生まれる」と主張したからです。
この思想にはジョン・ロックなどの啓蒙思想が大きく影響しています。
しかし、ここには大きな矛盾がありました。
「すべての人は平等」と宣言した人々の中には、奴隷を所有している人々がいたのです。女性にも政治参加の権利はありませんでした。先住民族も政治的平等から排除されていました。アメリカの独立は、理念と現実の間に大きな矛盾を抱えたまま始まったのです。
・日本では田沼政治が終わる
同じ頃、日本では田沼意次の政治が終わりを迎えます。田沼政治は商業を重視し、幕府の収入を増やそうとしました。しかし、天明年間には大きな問題が続きます。 1783年には浅間山が大噴火。冷害や凶作が発生し、全国的な飢饉につながりました。「天明の大飢饉」です。農村は大きな打撃を受け、都市では米価が高騰します。各地で一揆や打ちこわしが発生しました。こうした社会不安の中、田沼政治への批判が強まります。そして1786年、田沼意次は失脚しました。
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