論理と証拠
近年は盛んにエビデンスという表現が見られます。どうして証拠という日本語でいけないのか理解不能です。ある解説によると、エビデンスとは本来、科学的根拠のことですが、いろいろな分野で使われていく中で語義がだんだん曖昧になり、ファクトの意味をもつようになった、といいます。つまりエビデンスの方が意味が広く曖昧だということのようです。この説明もいささか曖昧です。外来語にはこうした注意が必要です。
科学は論理と証拠によって証明する分野、と一般的に思われていますが、実際に科学に携わってみると、論理のみとか証拠(事実)のみという科学論文を多くみます。これは現代科学が仮説の論証というしくみになっているからです。仮説とは文字通り仮の設定であり、言い換えると思いつきです。思いつきなので、どんな仮説を立てるのも自由です。その仮説を論理と証拠をもって説明し、みんなが納得すればそれでよい、ということになっています。これを説明の妥当性といいます。このみんなが納得している説明が定説です。従って、ある人が定説と異なる仮説を立てて、新たな妥当性のある説明をすると「定説が崩れた」ことになります。実際の説明はそれほど単純ではなく、論理に無理がないか、証拠は正しいか、などの検証が行われます。それが反論です。その反論に対して再反論していきます。それが議論ということです。その議論を第三者が見て妥当性を判断していく、という過程をとります。議論といっても目の前で直接対話することもありますが、論文という文章による場合もあります。どちらかに正当性があるわけではないのですが、対話だと議論に参加できる人が少ないのに対し、論文による議論は時空を超えて参加することができるので、より妥当性がある、と考える人が多いです。
論理についてはすでに多くの経験知があり、ほぼ一定の様式があります。しかし証拠の方はいろいろな提示方法があります。実際に物があれば、それを示せばいいわけです。化石などがそれに当たります。しかし実験結果とか計算結果などの抽象的な証拠はただ示せばよいというものではなく、他の人が同じ手続きで再現できることが重要です。また宇宙空間のようになかなか証拠が見つけにくい分野もあります。原子物理学などでは論理的に仮説を説明できても証拠が見つかるまでに何年もかかることがよくあります。
反対に先に証拠が見つかり、それを説明する論理が見つからないこともあります。自然現象の多くはどうしてなのか、そのメカニズムがわからないことがたくさんあります。
こうしてみると、論理と証拠で科学ができている、といってもそれほど単純な世界ではないことがわかります。つまり科学的根拠といっても、いつも見つかるわけでもなく、またその根拠が完全であるとはかぎらない、という曖昧な世界であることを理解したいです。
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