涅槃会と西行忌
本来は旧暦の2月15日が涅槃会であり、西行忌なのですが、今では新暦に移して行事を行うところが増えてきたので、本日のコラムにします。個人的にはこうした旧暦の行事をそのまま新暦に移すことには抵抗があります。同じ考えの人もいるようで、旧暦の2月15日に涅槃会を行う寺も少数ですが、あります。涅槃会というのは釈迦の入滅の日、つまり命日のことです。涅槃会では普段非公開の涅槃図などが公開されます。旧暦涅槃会の2月15日は今年だと3月6日です。単純に一か月遅れの3月15日に行うという寺もあります。有名な寺は2月15日か3月15日のどちらかです。
個人的な考えですが、同じ考えのお寺に参拝したいと思っています。ネットで検索したら名古屋市南区桶狭間の慈雲寺という浄土宗西山派の尼寺のブログによればこの日に涅槃会をされるそうなので、今年はここにお参りしようかと考えています。慈雲寺のご住職は「「初春」というように、春の足音をかすかに感じるときに新年を迎える方が自然だと思います。慈雲寺では、いろいろな仏教行事はできるだけ旧暦でやりたいと思っています。例えば、2月15日はお釈迦様が涅槃に入られた(人間としての生涯を終えられた)「涅槃会」です。もちろん、もともと旧暦で行われていた仏教行事です。」とおっしゃっておられます。まったく同感です。
( https://jiunji.hatenablog.com/entry/2023/01/24/110224 )
西行は「願わくは 花の下にて 春死なん その如月の望月のころ」という有名な歌の通り、涅槃会に亡くなったとされています。本当はその1日前だそうですが、涅槃会の日を西行忌としています。この歌の中のどこにも涅槃会と書いてありませんが、解釈として「できることなら、春、桜の下にて死にたい。二月のお釈迦様が亡くなった、あの満月のころに」というのが定説です。「権力や欲に貪る生臭坊主ならいざ知らず、西行ともあろう孤高の僧侶が「できることなら桜の下で死にたい」というのは、少し俗な感じがして違和感を感じるが、「二月のお釈迦様亡くなった満月の頃に」という下の句で、その上の句の俗な感じが薄らぐというより、全体的に深みが出てくるように思う。この歌は、上の句を「俗」、下の句を「仏」とすることで、一見「俗」な願いであり、また「聖」な願いでもある、西行らしいと言えば西行らしい調和の取れた歌に仕上がっているように勝手に思うのです。」という説に私も賛成です
( https://www.tabijiphoto.com/entry/saigyou-houshi )
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