落語と浄瑠璃
6月5日は「落語の日」(ろくご)という語呂合わせが無理だったせいか、あるいは命名者の春風亭正朝が不祥事を起こしたせいか、「幻の落語の日」になってしまったというオチです。
それよりこの日は旧暦元禄十六年(1703)皐月七日に大坂竹本座で「曽根崎心中」の初演があった日です。近松門左衛門作の人形浄瑠璃は後の心中物のさきがけで、歌舞伎の演目にもなり、近代になって映画にもなっています。実際には歌舞伎の方が先であったようです。上方落語では浄瑠璃の話が多く登場し、噺家にも浄瑠璃を稽古される方がおられました。東京落語では浄瑠璃が義太夫となり、義太夫に凝る大家の話が有名で、落語と浄瑠璃は深い関係があります。
曽根崎心中の舞台である大阪市北区曽根崎2丁目の露天神社(つゆのてんじんじゃ)は通称「お初天神」として知られていますが、現在ではこの物語を知っている人も少なくなってきました。この物語は実在のモデルがあり、それを近松が脚色しました。
人形浄瑠璃の演目はそれまで義経物語などよく知られた伝説や伝承を描く歴史物が中心でしたが、近松は実際の心中事件という俗世の物語を持ち込み、世話物といわれる新しいジャンルを創り上げたとされています。今でいうスキャンダルをドラマ化した実話物と同じです。いつの世もこうした噂話に尾ひれがついた話がウケます。
大坂堂島新地の女郎屋天満屋の女郎「はつ(本名妙、21歳)」と内本町醤油商平野屋の手代である「徳兵衛(25歳)」が西成郡曾根崎村の露天神の森で情死した事件が題材で、浄瑠璃でもお初・徳兵衛として登場します。徳兵衛は叔父の家で丁稚奉公をしていて誠実に働くことから信頼を得て娘(姪)と結婚させて店を持たせようとの話が出てきます。徳兵衛はお初がいるからと断りますが、徳兵衛が知らないうちに叔父が勝手に話を進め徳兵衛の継母に結納金を入れてしまいます。なおも結婚を固辞する徳兵衛に叔父は怒りだし勘当を言い渡し商売などさせない、大阪から出て行け、付け払いで買った服の代金を7日以内に返せと迫ります。徳兵衛はやっとのことで継母から結納金を取り返し、それを叔父に返済する段になって、どうしても金が要るという友人・九平次から3日限りの約束でその金を貸してしまいます。徳兵衛は九平次に返済を迫るものの、九平次は「借金などは知らぬ」と逆に徳兵衛を詐欺師呼ばわりしたうえ散々に殴りつけます。信じていた男の手酷い裏切り傷つき結納金を横領したわけではないことを死んで身の潔白を証明する以外の手段を思いつかず、徳兵衛は覚悟を決め密かにお初のもとを訪れます。お初は他の人に見つかっては大変と徳兵衛を縁の下に隠すと、そこへ九平次が客としてお初のもとを訪れ、お初に素気無くされたことで徳兵衛の悪口をいいつつ帰る。徳兵衛は縁の下で九平次がお初にしたり顔で語る騙し取った金の話に怒りに身を震わせつつ、縁の下から出てきた時にお初に死ぬ覚悟を伝えます。真夜中。お初と徳兵衛は手を取り合い曽根崎の露天神の森に、冥途への旅の始まりとあたりに気取られないよう道を行きます。互いを連理の松の木に縛り覚悟を確かめ最期に及んで徳兵衛は愛するお初の命をわが手で奪うことに躊躇します。それをお初は「はやく、はやく」と励まして、遂に短刀でお初の命を奪い返す刃で自らも命を絶って心中しました。
舞台を見た人はいろいろなことを言いたくなりますね。そこが重要なのです。
かくして現世で悲恋に満ちた最期をとげた二人の死を、「未来成仏うたがひなき恋の手本となりにけり」と来世でのかたい契りとして結末と成る。
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