エスペラント



日本エスペラント協会は6月12日を「エスペラントの日」としています。明治39年(1906)のこの日に日本エスペラント協会が設立されたからです。しかし日本の協会の設立記念日ということは日本独自のものです。Esperanto Dayの英語版を見ると7月26日となっており、1887年のこの日にエスペラントの創始者であるザメンホフが著書Unua Libroを出版したことを記念しているそうです。また世界大会もこの日の頃に行われるので、正式には同協会の設立記念日とする方が正しいのかもしれません。世界中で統一言語を使用することを理想としているのに記念日がバラバラというのも気になるところです。
創案者ザメンホフは世界中のあらゆる人が簡単に学ぶことができる国際補助語を目指してこの言語を作ったとされています。現実には英語が世界の支配的言語であり、英語を母語としている人々の優位があります。母語というのは世界中のどの民族にもありますから、エスペラントが英語に成り代わるのではなく、すべての人が第2言語として学習し利用することで平等になることを理想としたものです。ザメンホフは帝政ロシア時代のポーランドのユダヤ人で、ポーランド人、ロシア人、ドイツ人などが同じ町に住みながら、異なる言語を話し対立している人々を見て、どの民族のものでもない共通語の提案を思い立ちました。最初、ザメンホフはラテン語が言語問題の解決策になると考えていたようです。ラテン語はローマ帝国が支配していた時に広範囲の共通言語でしたし、古典聖書はラテン語で書かれ今でも欧州の言語にラテン語源の語彙があります。しかし実際にラテン語を学ぶとその困難さに気がつきます。一方で英語を学ぶ際には、名詞の文法上の性および複雑な格変化ならびに動詞の人称変化が複雑ですから、これを省略できないかと考えました。このあたりの苦労は日本人にも共感できます。この時点で名詞の数を想定していないのは名詞に数があるのは共通だと考えていたのでしょう。言語を学習するにはたくさんの単語を覚えなければならないのですが、彼が街を歩いていてロシア語で書かれた2つの看板を見て、解決策を思いついたそうです。швейцарская(門番所)とкондитерская(菓子屋)という2つの看板に共通して-skaja(場所)という接尾辞が使われていました。彼はひとつひとつ別々に覚えなければならないと思われていた単語を、接辞を使ってひとつの単語から一連の単語群として作り出せないかと考えたのです。ここでいう接辞の違いは欧州の言語が互いに語幹が似ていて、語尾の違いが多いということで印欧語族と呼ばれる欧州言語の共通的特徴ということです。18世紀には印欧語族があることが知られていたのに百年後のザメンホフはその知識がなかったといえます。歯科医なので仕方がないということもいえますが理想主義でもありました。基本となる語彙は多くの言語で使われているものを採用しましたが、ヨーロッパの言語に限られていました。ここにエスペラントが普及しない原因の1つがありました。創案以来135年になりますが、普及どころか今ではほとんど知られていないのが現状です。
エスペラントは人工言語なので、どうしても創案者の恣意が入ります。自然言語は作者不明で自然淘汰され変化し続けている言語体系なので、本当に統一が必要になってくると自然に混淆していきます。英語は分化と混淆の歴史であり、それで今でも世界で使われている、という結果になっています。

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