ゴミゼロと消費の矛盾



5月30日は語呂合わせで「ゴミゼロ」の日です。同時に1968年(昭和43年)のこの日に消費者の利益を守ることを目的とした消費者保護基本法が公布・施行されたことを記念して「消費者の日」でもあるそうです。

どちらも大切な日ですが、よく考えてみると、何かを消費すれば必ずゴミがでるわけなので、消費者が経済を回すためにドンドン消費すれば、ゴミもドンドンでるわけです。消費者の日の趣旨は消費者保護であり、事業者と消費者では力関係が不均衡で、消費者個人だと争いがあった場合に圧倒的に不利なので、弱者を保護するという意味合いなので、論点が違うため、本来は矛盾しません。消費者の日は、消費を促す日ではない、という理屈もありそうですが、現実には消費者の権利を守ることで、消費の増大を潜在的に意図していることはありそうです。

近年、「断捨離」という表現が流行り、不要なものは整理して捨てろ、という傾向があります。これはゴミをどんどん作れ、ということと同義になります。そもそも物を買わなければ断捨離する対象もなく、その必要もありません。消費者は何かの利用目的をもって購買するのですから、その利用がなくなったら不要なゴミとなるわけです。ゴミゼロというのも真にゴミを減らすことよりも、ゴミ処理の費用を減らすことが主眼のようです。環境美化運動がベースにあり、「自分のゴミは自分で持ち帰りましょう」を合言葉に、豊橋市から全国に広まった「530運動」を通じて、「ゴミを拾うことでゴミを捨てない心を育む」ことを目的としている、そうなので「ゴミを出すな」ではなく「ゴミを捨てるな」ということが主眼です。その点では、「リサイクル運動」とは違います。ゴミではなく資源という思想とは根本が違います。リサイクルはコスト的には高いことが多いです。原料から生産する方が安く、コストをかけて再生することはなかなかハードルが高いですから、同じものを再生産するのではなく、付加価値があるものにしないとなかなか普及しないのが現実です。

消費活動には必ず利用できないものがあり、完全消費はほぼ無理です。利用して消費しても残滓が残らないのは現金くらいです。料理しても食べられない部分は出ます。昔はそれを肥料として利用していました。自然界のものは食物連鎖のように循環的にできていますから、そのサイクルを利用できるわけです。しかし文明の進化の結果の生産物はすべて利用後にゴミが残ります。農業生産物や金属加工もゴミがでますが、プラスチックや原子力など高度になればなるほど、処理がむずかしいゴミが残る原理です。言語や金融など物理的存在がないものはゴミとして物理的に残るものはありません。消費とゴミを文明や文化と絡めて再考するには良い日だと思います。

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