マッカーサーの進駐


マッカーサー

1945年8月30日厚木海軍飛行場に連合国日本占領軍最高司令官のダグラス・マッカーサー元帥が到着しました。これが日本の占領の始まりでした。その後、9月2日、日本と連合国との間で交わされた休戦協定(停戦協定)いわゆる降伏文書の調印が行われました。この協定により日本の降伏が確認され、ポツダム宣言の受諾は外交文書上固定されたことになります。マッカーサーは調印式にアメリカ代表として立ち会った後に東京に入り、以後は連合国軍が接収した皇居前の第一生命館内の執務室で、1951年(昭和26年)4月11日まで連合国軍最高司令官として日本占領に当たりました。その際、マッカーサーには大統領トルーマンからアメリカ史上空前の全権が与えられていました。つまり日本は事実上米国の支配下にあり、マッカーサーは独裁的権限があったということです。

彼は各種の占領政策を行って民主化を進めたのですが、国民主権・平和主義などを柱とする日本国憲法の制定に影響を与えたとされ、その憲法は現在に至っても一言一句訂正されておらず、それが現在の憲法改正運動とその反対運動の起点となっています。戦後の占領軍が敗戦国の体制や資産を自由にする、とことはよくあることですが、憲法という国家の基盤に干渉することはハーグ陸戦条約に反するという意見もあります。 問題となるのはこのハーグ陸戦条約の附属書( ハーグ陸戦規則 ) 第43条 です。Art. 43. The authority of the legitimate power having in fact passed into the hands of the occupant, the latter shall take all the measures in his power to restore, and ensure, as far as possible, public order and safety, while respecting, unless absolutely prevented, the laws in force in the country.(https://avalon.law.yale.edu/20th_century/hague04.asp#art43) 訳は「第43条 正統な権能を有する権力が事実上占領者の手に移ったときは、占領者は、絶対的に妨げられることがない限り、その地域の現行法令を尊重しつつ、可能な限り公共の秩序と安全を回復し確保するため、自らの権能においてあらゆる措置を取るものとする。」(https://note.com/horishinb/n/nfc1b71418262

しかし一方では「ハーグ陸戦規則は、あくまで交戦中の国同士を規律するもので、戦闘が継続している中で自国の軍隊が他国の一定地域を占領したようなケースを前提としていると考えられる(同上)という意見もあります。

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