絶対と相対


絶対・相対

主観と客観は視点の違いですが、人間の感覚なので、完全に違うわけではありません。程度問題といえます。しかしなんとなく絶対的というか相互排除的な感じで受け止めている人が多いと思います。自分と他人が入れ替えるのはむずかしいのは事実ですが、「他人の気持ちになって考える」ことが日本人は意外と得意です。思いやりとか忖度は相手の気持ちになって行動することです。欧米人はこれが苦手です。自己主張は強く出しますが、相手の視点や相手の立場を考える場合も、あくまでも相手を攻撃する場合に限定されます。

主観と客観はお互いに相いれないと思うのは、主観と客観が絶対的と思うからで、相対的なものだと考えると、妥協の余地や思いやりなどが生まれてきます。絶対と相対というのは日常的にあるもので、たとえばデジタルの世界は「0と1」という絶対的な対立が前提となっています。アナログの世界は相対的なもので「大きいか小さいか」のような対立概念です。時計を考えるとわかりやすいですが、デジタル時計は秒や分が数字でカチカチと変わりますが、アナログ時計は連続的に動いていき、切れ目がはっきりしません。デジタルとアナログを日本語にすると計数的、計量的と訳すことができます。自然界の現象はほぼすべてがアナログですが、人間はデジタル的に理解することで行動しています。たとえば暦はデジタルな道具ですが、時の流れはアナログです。カウントダウンはデジタルでないとできません。

デジタルは絶対的概念が前提となっています。しかし絶対というのは概念上だけであり、現象はアナログであり相対的概念が前提となっています。言語の世界でも音の理解や語の理解はデジタル的なものですが、実際の音声はアナログであり、それをデジタルに理解することで音韻という単位が認識できます。ところが意味の世界というのはアナログのままであることが多いので、境界線は曖昧であり、単位に分けることがむずかしいのです。それで意味のデジタルな単位が設定しにくく、今も意味論がなかなか進化しません。たとえば「長い、短い」という判断も判断基準を何にするかで違ってきます。つまり基準があって相対的な価値判断なのです。もしかすると21世紀は相対的な判断を扱う科学が出てくるかもしれません。新しい科学に期待したいです。

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