併用と兼用



よく似た概念のため、時々誤解されることがありますが、内容を理解しておくと正確に相手に伝わる語彙群があります。その1つが併用と兼用です。併用の例としては、電動自転車を思い浮かべていただくとわかりやすいと思います。坂道などでは人力と電動モーターが「併用」されます。一方、兼用の例としては、最近の傘には雨の時に雨傘、晴れた日は日傘と「兼用」できます。併用も兼用も2つのものを利用することは共通ですが、「使い方」と「同時性」に違いがあります。併用では、2つの力が同時に使われるのですが、兼用では、時間的に別々の状況になります。表現を換えると、併用では使用者が原則的に選択しないのに対し、兼用では使用者に状況に応じた選択性があります。

言語の世界では、二言語が併用される場合をバイリンガル、言語併用と呼び、二言語が兼用される場合をダイグロシア、言語兼用と呼んでいます。現実の社会ではいろいろなケースがあり、一概に言えませんが、よくあるのは、バイリンガルは一人の人が複数の言語を使用することです。それに対し、1つの国に2つの言語あるいは文語と口語が存在し、状況に応じて使い分けられるのが言語兼用です。よく例に出されるのがアラビア語で、文語(フスハー ・正則アラビア語)と口語(アーンミーヤ)がかなり分離していて、使い分けが必要になります。イスラム教の聖書であるクルアーン(コーラン)は文語であり、長い歴史の中でもほとんど変化がありません。それに対し、口語の方は日常会話ですから、地域や時代により変化します。アラビア圏では今も識字率が低く、文字が読めない人が多いため、毎日行う礼拝では文語が音声で流されます。文語は古代語が持続されていて、口語しか知らない人に対しては宗教指導者が解説をします。この宗教スタイルはアラブ独特のものではなく、キリスト教圏でも一般人にはよくわからないラテン語聖書を使用している宗派と、それぞれの国の言語の聖書を使用する宗派に分かれています。日本でもお経や祝詞の言語がわかる人は僧侶や神官以外にはいないので、庶民は説教を聞いて理解しています。日本の仏教の場合、さらにややこしく、経本は古代中国語で書かれていて、それを解釈した日本の古語で書かれていることもあります。古語の方はどうにか概略の意味はとれるのですが、漢文の方はどうにも理解しづらいのです。それでも字の意味がわかるので、ぼんやりとわかります。その漢文の中にはインド古代語のパーリ語やサンスクリット語の音訳が混じっていたりするので、字だけ見て解釈すると、とんでもない誤解をしている可能性もあります。これは兼用というレベルの話ではありません。文語自体に言語が混在しているわけです。このように言語が混じっていくという現象は併用や兼用とは別に考える必要があります。専門的には、複数の言語が同時に存在することを言語接触といいますが、言語接触の結果、いろいろなことが起こります。併用と兼用はその1つの状態です。

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