目標言語の設定
中間言語の存在を肯定し、学習者に見合った中間言語を目標言語に設定する、という論理は簡単そうでいて、実はかなりの経験と知識を要する技術です。そのための基本知識として、まず目標言語とは何かを考えなくてはなりません。よくある間違いに、母語話者の言語を目標とする設定です。いわゆるネイティブ崇拝論です。当然のことですが、母語話者は自分がどのような過程を経て、その言語を学習したのかわかっていません。「自然に」覚えてきたのです。つまり中間言語がどのようなものかを知らず、そもそもそういう認識もないのが普通です。よくある話に、その道を苦労して学習してきた人こそ、よい指導ができる、のは学習中間段階を1つ1つクリアしてきた経験があるので、中間段階を熟知しているわけです。「名選手は必ずしも名監督、名コーチではない」ということは、ある意味、そういう側面を表現しています。無論、それだけではなく、選手としての技量と、監督としての技量と、コーチとしての技量は異なるので、それが根本です。
学習に個人差がある、ということは、「中間言語にも個人差がある」ということです。語学として考えると、学習者は既に母語をもっており、その母語による影響が大きいということです。たとえば日本人が英語を学ぶ場合と中国人やタイ人が英語を学ぶ場合では中間言語が異なります。これはアメリカにおいて、公用語である英語を移民に教育する場合に、母語の違いによる学習成果の差が明確であることは教師の間で知られています。しかし日本の英語教育では学習者の母語が同じであるため、ほとんど教師に認識されていません。アメリカの場合は、教師は英語母語話者であるのが普通ですが、日本では英語教師のほとんどは英語母語話者ではありません。ほとんどが日本英語の使用者です。結果として、日本の英語教育の目標言語設定は日本英語であり、しかも中間言語獲得の段階で優劣をつける習慣のため、よい成績の学習者ほど英語母語話者の英語とかけ離れていく、という笑えない結果になっています。そこで高度の中間言語獲得者ほど、ネイティブ崇拝になっていく、という社会現象があります。つまり目標言語の再設定(リセット)になります。これは個人の自由ですが、ある意味、無駄な努力になりかねません。中間言語をすべて捨てて、新たに1からやり直すことになるからです。それはゼロからのスタートより大変です。もし中間言語の存在を是認し、その有効活用ができるなら、同じ努力を別の方に向ける方が「効率的」です。今流行りの表現でいえばコスパもタイパもいいわけです。具体的にどうするかというと、中間言語である日本英語の存在を是認することです。これは明確に実在しますし、誰もが認識していますが、合意形成ができていないだけです。表現と例に語弊があるかもしれませんが、種々の英語検定試験は中間言語の習得過程の評価といえます。試験実施者は中間言語のレベルと内容を把握していないと評価できません。英語検定についても、日本と外国ではそれぞれ違いがあります。中間言語が国によって違うのは自然なことです。
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