言語接触と混淆語
日常生活において、いろいろな形の言語接触があります。小さな違いでいえば、普段の生活は誰もが自分のことば(個人方言)を使っていますが、テレビの言語はいわゆる標準語であったり、関西弁であったりしますから、方言同士の言語接触ということになります。旅にでれば、必ずその地方の方言と接触します。日本国内ではこの程度の違いが日常的ですが、諸外国では民族の違う人同士の接触が日常的なので、異言語の言語接触が起こります。日本国内でも英語、韓国語、中国語、台湾語などの異言語との接触はよくあります。逆に考えると、まったく同じ言語を共有している人同士は案外少ないのです。こうした言語接触の経験から、ある程度までは言語の異なる相手の言うことも理解できるようになります。完全なコミュニケーションにはならなくても、部分的な相互理解なら可能になっています。この能力が発展すると、相手の言語の一部が理解できるようになります。ジェスチャーの助けや絵などの補助手段があれば、さらに理解は進みます。こうしてまず単語レベルの理解が始まります。頻繁に異言語同士の接触があると、それだけ単語理解も進んでいきます。時には単語だけでなく、文が1つの塊のように記憶されることもあります。「ありがとう」や「どうも」などの1語文は覚えやすいです。英語のThank you.も単語並みに覚えていると思います。言語接触による言語獲得は、時に混淆語(ピジン語)と呼ばれる第三の言語を生み出します。日本での例だと、戦後の駐留米軍と日本語との接触により、混淆語が作られていきました。パンパンと呼ばれた売春婦と利用者である米兵との間で共通となるピジン語が作られていきました。その典型例が「ミー」「ハー」「オンリー」などの単語です。「ミーはジョンのオンリーなの」という表現が典型とされています。実際にこういう表現であったかどうかは別として似たような文であったことが想像されます。米兵の立場からするとme wa jon no only nanoと聞けば、英語であるme, jon, onlyは理解できますから、大体の文脈はわかります。さらに慣れてくればwa,no,nanoが獲得できるかもしれません。これを言語的に分析すると、いわゆる実詞と呼ばれる内容語が共通化され、助詞などの機能語は話し手の言語に依存したままです。この法則性はピジン語の使用者同士の社会的な力関係により決まるとされています。このケースでは、売り手と買い手なので、買い手の方が力が強いと考えられ、さらに日本人とアメリカ人でも日本人が弱者、アメリカ人が強者という関係ですから、共通部分の内容語は英語で、機能語は日本語という構図になります。似たようなケースとしてよく挙げられるのが、ハワイやブラジルに移民した日本人の場合です。内容語は現地語で、機能語は日本語のまま、という混淆語が出来上がります。言語学的に混淆語という場合は、個人的に発生したものではなく、それが集団化した場合をピジン語と呼んでいます。移民の場合は移民同士で混淆語が共有されるのが普通です。この共有化がさらに進んで、1つの言語として確立し、移民2世によって母語となる場合もあります。
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