宗教と戦争



9.11はアメリカ人にとって、忘れられない日となっています。パールハーバー以来、初めてアメリカの国土が攻撃された、という意味です。アメリカは他国を攻撃したことは数限りなくあるのに、自国が攻撃されるとヒステリックなほど燃え上がる、という、ある意味、自分勝手な国民性がよく指摘されます。2001年9月11日に起きた「同時多発テロ事件」はその後、アフガニスタン紛争へと発展し、アメリカが支持するアフガニスタン共和国と反政府勢力であるタリバーンやアルカイーダとの紛争は二十年にもわたる戦争となり、最終的にはタリバーンが掌握してアメリカ軍は撤退するという結果に終わりました。アフガニスタンはそれで平和になったかというと、タリバーン政権下において、女性の権利などが迫害されているなど、宗教的な縛りが強い国家となって、民主主義政権との政治的紛争は今も続いています。同時多発テロもアフガニスタン紛争もイスラム原理主義勢力という宗教を背景とした政治・軍事勢力とアメリカとの闘いという点で共通しており、さらに今、ヨーロッパが悩んでいる不法移民問題もイスラム圏での紛争が原因となった難民が多いのです。そしてそのイスラム圏にはアラブだけでなく、北アフリカ諸国も含まれます。日本では何となくアフリカは土着の宗教のような感覚の人が多いのですが、実際には北はイスラム教徒が多数を占めます。南アフリカはキリスト教が広がっています。ヨーロッパの植民地であった時代、宗主国の言語は採り入れたものの、宗教までは採り入れなかった国が多いのです。英国が支配したインドもキリスト教化しませんでしたし、宗教は言語よりも変更が難しいもので、その宗教と文化や伝統は深く結びついているので、植民地といえど、住民のすべてを根幹から変えることは不可能のようです。反面、戦争の原因は宗教か領土が原因のことが多く、たとえば、今のウクライナ-ロシア戦争は領土問題、イスラエル-ハマス紛争は宗教問題が根本にあります。領土にしろ、宗教にしろ、住民にとっては変更できないものであり、生きていく上での根本なので、互いに譲ることができないものだからこそ、戦争になります。そして戦争の結果、双方が妥協できれば休戦協定が結ばれ、「平和」となります。つまり平和というのは休戦状態のことで、「戦争がない」という意味です。休戦協定である以上、永遠の平和というのはありえず、何かのきっかけで再燃することがある、ということは歴史が証明しています。いわゆる「火薬庫」と呼ばれている地域は、何度も戦争と休戦を繰り返しています。日本は幸運にも、外国と領土や宗教で紛争した経験は少なく、世界のほとんどがそれで揉めていることには案外無関心です。日本は評論家も政治家も経済問題だけを重視する傾向があるのは、それだけ「平和」が続いている、という証拠でもあります。結果的に「平和ボケ」する人も多くなりますが、それだけ幸福という皮肉も成立します。日本でも昔は宗教が原因の争いもありましたが、今では宗教について語ることさえタブーという不思議な文化を形成していて、世界的には独特の文化になっています。

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