松陰忌


吉田松陰と松下村塾

10月27日は吉田松陰の命日です。松陰忌は、幕末の思想家・教育者である吉田松陰を偲ぶ日で、彼が処刑された1859年10月27日に由来します。吉田松陰(1830-1859)は、長州藩の下級藩士の子として生まれ、幼少期から兵学を学びました。彼は松下村塾を開設し、高杉晋作や久坂玄瑞などの弟子を育てました。松陰は国防のために西洋の知識を取り入れようとし、ペリーの黒船に乗り込んで留学を試みるなど、行動力に富んだ人物でした。しかし松陰は安政の大獄(1858-1859)で亡くなりました。幕府の大老・井伊直弼が尊王攘夷派や一橋派を弾圧した事件で、松陰もこの弾圧に巻き込まれ、幕府批判や老中暗殺計画を自供したため、1859年に処刑されました。安政の大獄は政治的な思想弾圧であり、その例を引いて、その後も政治的弾圧のたびに大獄と呼ばれます。実際に投獄される場合もありますが、それがなくても、大獄と呼ばれることもあります。令和の大獄は、現代の日本における政治的弾圧を指す言葉として使われます。「令和の大獄」と呼ばれる事件の一つとして、石破政権による安倍派の一掃が挙げられます。石破茂首相は、旧安倍派の議員に対して厳しい処分を行い、特に裏金問題に関与した議員を非公認とするなどの措置を取りました。具体的には、萩生田光一元政調会長や西村康稔元経産相など、旧安倍派の要職にあった議員が非公認とされました。また、比例区での重複立候補を認めないという方針も打ち出され、これが「令和の大獄」として批判されています。この動きは、石破政権が安倍派の影響力を排除し、党内のクリーンアップを図るためのものとされていますが、党内外からは賛否両論が巻き起こっています。こうした騒動の陰になっていて、あまり目立ちませんが、今回選挙区が変わります。これは最高裁判決による2倍以上の格差をなくすための措置として、以前から行われていますが、その区割りはかなり恣意的に行われています。こうした選挙区割をゲリマンダーといいます。ゲリマンダーは、選挙において特定の政党や候補者に有利になるように選挙区を区割りすることを指し、1812年にアメリカのマサチューセッツ州知事エルブリッジ・ゲリーが、自党に有利な選挙区を作るために不自然な形の区割りを行ったことに由来します。その形がサラマンダー(火の中に住むとされる伝説上のトカゲ)に似ていたため、「ゲリー」と「サラマンダー」を組み合わせて「ゲリマンダー」と呼ばれるようになりました。ゲリマンダーにはクラッキング(分割):特定の政党の支持者が多い地域を分割し、他の選挙区に吸収させることで、その政党の影響力を薄める方法、パッキング(詰め込み):特定の政党の支持者が多い地域を一つの選挙区に集中させ、他の選挙区での影響力を減少させる方法があります。ゲリマンダーは、選挙結果を操作し、実際の支持率と議席数の間に大きな乖離を生じさせることができます。これにより、少数派の意見が過小評価されることがあり、民主主義の原則に反するとの批判がありますが、今回の区割りにそうした問題がないのかマスコミも批判しませんが、それこそ民主主義の危機かもしれません。

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