香港の占領から返還までの歩み

1945年8月30日、香港は日本軍の降伏により再びイギリスの統治下に戻りました。この日、イギリス海軍のシリウス号がヴィクトリア・ハーバーに入港し、直後に日本軍の降伏式が行われ、香港は再びイギリス植民地としての統治体制に復帰します。この出来事は、香港の20世紀史における大きな転機であり、ここから1997年の中国返還、そして今日の「一国二制度」下における政治的な揺れ動きに至るまでの複雑な歴史が始まったとも言えるでしょう。
1941年12月、太平洋戦争開戦とともに日本軍が香港を攻撃。わずか18日で香港は陥落し、日本の統治が始まりました。住民は食料や医療の不足に苦しみ、イギリス人や中国人住民の多くが迫害を受けました。日本語教育の強制や日本の統治制度の導入など、「皇民化政策」が進められましたが、現地の反発も根強く、統治は困難を極めたとされています。1945年8月15日、日本が無条件降伏を宣言し、8月30日に正式に香港はイギリス支配に復帰します。この復帰によって、イギリスは香港の行政・経済基盤の再建に乗り出し、混乱していた社会秩序の回復とインフラ整備が急速に進められました。また、戦後の混乱を逃れて多くの中国本土の人々が香港へ流入し、人口が急増。香港はアジア有数の貿易港としての地位を回復し、戦後復興と経済発展を遂げていきます。
1950年代から60年代にかけて、香港は繊維産業や軽工業を中心に急速な工業化を遂げ、やがて金融・貿易・不動産などの分野へと経済の軸を移していきました。特に1970年代以降には「アジア四小龍」の一つとして世界的にも注目される経済成長を見せ、香港ドルは安定通貨として評価されるようになります。この時代、香港はイギリスによる自由主義経済体制と、厳格ではあるが比較的公正な法制度のもとで、市民生活の安定と都市としての発展を遂げました。一方で、住民には本国イギリスと同等の参政権は与えられず、統治の根本には「植民地」の矛盾も残り続けました。
1980年代に入り、中国が改革開放政策を進める中で、香港の将来を巡る議論が高まりました。そもそも香港島と九龍の一部はイギリスが永久割譲を受けていたものの、新界(人口の大部分が居住)は「99年間の租借地」として1898年に清朝から借り受けたもので、1997年にその期限を迎えることが分かっていました。1984年、中英共同声明が調印され、1997年7月1日に香港を中国へ返還することが正式に決定されました。ここで中国政府は「一国二制度(1つの国に2つの制度)」を掲げ、香港には2047年まで高度な自治、資本主義経済、言論・報道の自由を維持することを約束しました。1997年の返還後、香港は「中華人民共和国香港特別行政区」となり、国防・外交以外の高度な自治を保ってきました。2014年の「雨傘運動」、2019年の逃亡犯条例改正案を発端とした抗議運動など、住民の間では「自由の侵食」への不安が広がりました。とりわけ、2020年に施行された「香港国家安全維持法」によって、民主派政治家や活動家への締めつけが強化され、国際社会から一国二制度は形骸化したとの批判が相次ぎました。
月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 | 日 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | ||||
4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 |
11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 |
18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 |
25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 |