手話の雑学27

よく考えてみると、言語習得は学習の結果です。それは言語学習が環境によって、獲得結果つまり言語が変わることで証明できます。しかし、今でも、ネイティブつまり生まれついての母語話者を過剰に尊重する傾向がありますが、とくに日本はその傾向が強い文化があります。この背景には、20世紀の言語学者、アメリカのノーム・チョムスキーの言語観の影響があります。彼の言語理論については、専門書を読んでいただくとして、彼は「母語話者は言語的直観があり、その直観のしくみを解明することが言語学である」という学問的思想です。確かに母語話者は「理屈抜きで、自然に正しい言語を判断できる」という能力をもっています。たとえば日本人なら、助詞の使い方という文法を自然に判断できます。外国人にはなかなかむずかしい部分です。しかし、生まれつきの日本人でも、幼児の頃はよく間違いますし、外国人でも長く住んでいれば、自然に間違いなくできるようになります。つまり言語的直観は学習の結果から獲得できたものであって、環境と無関係に遺伝的に獲得できるものではない、ということです。チョムスキーは、人間には、人間にしかない「言語習得能力」が備わっており、言語環境に応じて、それぞれの言語を獲得して母語となる、と考えたのです。この説は、「なぜ人間だけが言語を獲得するか」という疑問への答にはなります。そして「人間はその環境に応じて言語を獲得する」ことの説明ができます。むろん、反論も多くありますが、ここでは省略します。
このチョムスキーの思想を手話に反映させたのが、アメリカ手話学とその手話学を日本で広めた人々です。聾者だけでなく、聴者も手話を獲得でき、生まれながら手話環境にあれば手話を獲得します。そういう聴者がコーダです。逆に聾者でも、手話環境にないと手話は獲得できません。そのため、幼児段階から手話環境に置くことで手話を獲得するようにすることが「人権」と考える人々がいて、そういう運動を展開していきました。「聾児には手話を獲得する権利がある」という政治思想です。これはアメリカのような複合民族国家において、それぞれの民族は自分の言語を習得し、使用する権利がある、という思想です。アメリカという特殊な国家にある思想といえるかもしれません。日本のような1つの民族が支配的な国もあれば、アメリカのような複数の民族が共存する国もあり、世界にはいろいろなパターンがあります。歴史や政治も異なるため、世界の国々の言語事情はさまざまです。そもそも国家の存在もさまざまなパターンがあり、民族同士が争っている国も多く存在します。言語に一番大きな影響を与える教育のパターンもさまざまです。1つの思想で統一的にまとめるのは不可能なのが現実です。そして、言語習得と言語使用の問題も1つに整理することもむずかしいのです。「生まれつき」という概念は単純ですが、それですべて分類できるはずがありません。人間の人生において、どの時点で学習し、どれくらいの期間学習したか、学習環境はどうなのか、といった様々な要因が絡んできます。そして、「完全な言語習得」とは何かは不明のままです。
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