聾教育と手話2

聾教育を創始したのは、フランスのドレぺ神父(1712年11月24日 - 1789年12月23日)による1760年である、とされています。またドイツのハイニッケが1778年に聾学校を開設しています。日本の聾教育の創始は古河 太四郎(ふるかわ たしろう)(1845年4月26日)- 1907年12月26日)により1878年とされていて、120年ほどの差があります。当然、古河には西洋の実情に対する知識はあったと思われ、ドレぺの指文字や手話についての知識やハイニッケの口話法についても研究したに違いありません。古河は1875年、彼が寺子屋の教師だった時代に、聾唖の生徒が日常的に使用していた手話に着目し、体系的な機能を持つ言語としての教授用の手話を考察したとされていますが、まったくオリジナルの発想かどうかは疑いがあります。しかし、彼により考案された指文字のような表現方法を取る「手勢(しかた)法」は欧米のものとはまったく異なる体系であり、今日ではほぼ残っていません。とはいえ、手話については、現在、標準手話として制定されている日本手話の原型となっている、といわれています。
聾教育が本格的に普及していったのは聾学校の設立と深い関係がありますが、それ以前に聾児への教育がなかったわけではなく、家庭教師のような個人レベルでの教育として行われていたと考えられます。
聾者の存在は人類と共にあり、聾児への関心は人類の歴史のごく早い時期から存在していたと思われますが、そうした先史時代のろう教育については史料が存在していないため、知ることができません。またこれまで聾史学は主に欧米で発達してきたため、アジアやアフリカ、先史時代のアメリカ、オセアニアにおけるろう教育の歴史については、ほとんど研究が行われていないのが実©情です。歴史上、最も古いろう教育に関する記録と思われるものは、8世紀初頭のイングランド、ヨークの主教だったベヴァリーの聖ジョン(Saint John of Beverley)についての記述で、彼は一人の聴覚障害児に言葉を教えたとの伝説が残っているそうです。
次にヨーロッパの記録に登場するのは15世紀の哲学者ルドルフ・アグリコラです。アグリコラはハイデルベルク大学の教員でしたが、やはり聴覚障害者に言葉を教えたとされ、『発見の弁証法(De Inventione Dialectica, 1538)』と題された著書において、自らのろう教育について記しているとのことです。問題はヨーロッパではキリスト教により、「ことばがわからない」聾者は「神の福音が受けられない存在」であり、それゆえに「白痴(知的障害)と同じ」と考えられていました。しかし、この時期のヨーロッパでは、ようやくではあるが聴覚障害は知的能力に本質的に関わる器質障害と見なされなくなっており、16世紀イタリアの哲学者ジロラモ・カルダーノは、この考え方を著書『聖書年代記(Paralipomenon)』の中で展開しました。またこの頃までに、ヨーロッパに生まれた聴覚障害児の一部は、家庭教師による聾教育を受けるようになっていました。
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