手話の雑学108

ハイゼンベルクをカッシーラ/ランガーと無関係にご紹介するのではありません。彼らの思想との接続があります。まず、そこを簡単にまとめておきます。
・カッシーラ:象徴形式が世界を構成する
・ランガー:非言語的・同時的象徴にも厳密な構造がある
・ハイゼンベルク:観察と記述が、その構造の見え方を変える
この三者を並べると、「手話は未分化なのではない」「私たちの観測理論が、まだ古典的すぎるだけだ」という、かなり強い哲学的主張が可能になります。ハイゼンベルク的立場に立てば、「手話をどう見るか」ではなく、「私たちは何をもって見たと言えるのか」を問い直す哲学です。手話を「曖昧」「感覚的」「記述しにくい」と感じる瞬間があれば、それは手話自体の問題ではなく、観測装置(理論・言語・記法)の問題だ、ということで、その視点を与えてくれるのが、ハイゼンベルクです。
量子観測とナラティブ手話分析の関わりを考えるとき、「記述すればするほど、失われるものがある」という問題が発生します。これは手話記述をしていると、つねに感じます。まず議論の出発点として、ハイゼンベルクの思想の核心をまとめます。ハイゼンベルクの不確定性原理は、よく誤解されますが、「測れないのではない。同時に、同じ精度では測れない」という主張です。
・位置を正確に測れば運動量がぼやけ、
・運動量を正確に測れば位置がぼやける。
これは測定技術の限界ではなく、観測という行為そのものが、対象のあり方を規定するという話です。これを手話にそのまま移植すると、手話研究でも、同じことが起きています。ただし「位置」と「運動量」の代わりに、こう置き換えることができます。
手話版・不確定性の対応
・形式の精密さ:手形・位置・方向・運動を細かく記述する
・意味の流動性:同時性・リズム・身体全体の意味生成
両方を同時に、最大精度で保持することはできない、という問題にぶつかります。
具体的に何が起きているかというと、
・精密記述をすると、意味が死ぬ、という問題
ストーキー法による表記、グロス表記、動画分析などで、手型A、位置B、動きCを正確に固定すると、同時進行する非手指要素である視線・姿勢による意味の重ね書きやナラティブ的な流れが「ノイズ」として切り捨てられてしまいます。これはまさに位置を測った結果、運動が失われる状態といえます。
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