手話の雑学116 宗教と障害者観1

最近では手話への偏見はほぼなくなったといってよいと思われます。昔は「手真似」など侮蔑的表現が見られました。これは背景に障害者に対する差別的意識があったと思われます。障害者に対する考え方、つまり障害者観は今でも差別的傾向が残っています。そのため、障害者の家族は「肩身の狭い思い」をしたり、縁談に差し支えるなど、「できれば」障害者になりたくない、のが当たり前で、積極的に障害者になりたい、と思う人はまずいないでしょう。「健常者」という表現が示すように「五体満足」であることが正常だというのが一般的でしょう。いわゆる「健常者」が多数であって、障害者は少数というのも一般的理解だと思われます。では少数がすべて差別的対象かと言うとそうでもなく、天才や富豪は圧倒的少数ですが、誰もが尊敬し憧れる存在であり、差別することはまずないと思われます。スポーツなどの競争社会では1位は唯一人であって、残りの絶対多数は尊敬されることはありません。つまり数の多い少ないではなく、尊敬や差別の原因は「価値観」にあります。では障害に対する差別意識はどこから来たのでしょうか。その価値観の形成には何か訳があるはずです。私見ですが、その根底にあるのは宗教ではないでしょうか。いわゆる「善悪」を分ける判断は社会の習慣で、家庭や学校、世間から学びます。いわば社会通念ですから、社会が違うと判断基準も分かれるのが当然です。よく子供が大人に「なぜ人を殺してはいけないの?」という質問をしますが、その質問に大人がどのように答えるかで、その大人の価値観がわかります。今の日本では「警察に捕まって刑務所に入れられるから」という「犯罪」が判断基準とする人が多いと思われます。だから「法律に触れなければよい」という判断の人が多いと思われます。これは現代日本は宗教的な罪や罰を前提にしていないからです。キリスト教圏などでは「神の教えにそむく」から悪というのが一般的です。それで犯罪という「人間が作った規則」に反するものをcrimeといい、神の教えに背く罪をsinとして区別しています。たとえば「嘘をつくことはよくない」と誰もが思いますが、それは詐欺や裁判などでの証言でないかぎり犯罪ではなく、時には「嘘も方便」といい認められる場合もあります。この「方便」というのは仏教用語ですから、仏教の影響と言えます。しかしキリスト教圏では「十戒」という有名な決まりがあり、その中に「嘘をついてはいけない」というのがあります。つまりIt's a sin to tell a lie.といい、嘘をつくことが神の教えにそむくのでいけないこと、と教えられます。では仏教では嘘をついていいと教えているかというとそうでもなく、五戒というのが基本にあり「不妄語戒(ふもうごかい)」という嘘をついてはいけない、という決まりがあります。嘘をついてはいけない、という決まりは世界のどの宗教にも共通するようです。それは人間社会において必然的なことだからでしょう。「方便」という概念が誤解されていると思われます。
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