日本史と世界史で読み解く 日米物語 第15回(5) ワシントン会議と太平洋の秩序

十三夜の月のイラスト

― 「5:5:3」の裏側で、日米は何を考えていたのか ―

・日本とアメリカ、二つの「太平洋国家」

ここで、これまでの連載を振り返ってみましょう。

アメリカは17世紀に大西洋岸から出発しました。その後、西へ進み、ルイジアナを獲得し、ロッキー山脈を越え、カリフォルニアへ到達し、ハワイを併合し、フィリピンへ進出しました。

一方、日本は、江戸幕府から明治政府へ変わり、北海道を開拓し、台湾を領有し、朝鮮半島への影響力を拡大し、東アジアへ進出しました。

つまり両国とも、「太平洋国家」になったのです。そして、その二つの太平洋国家が、1920年代に同じテーブルについた。それがワシントン会議でした。

・「5:5:3」は単なる数字ではない

日本人の中には、この数字を「日本がアメリカの6割しか認められなかった」と見る人もいました。しかし、この数字には当時の海軍戦略、国力、財政、太平洋の地理など、さまざまな要素が絡んでいます。

アメリカは太平洋と大西洋の両方に海軍を展開する必要があります。
イギリスも世界各地に植民地を持っています。
日本は太平洋を中心に防衛することができます。

したがって、単純な国力比較だけで数字が決められたわけではありません。それでも日本海軍の一部にとっては、「アメリカと戦うことを前提にすれば、60%では足りない」という不満が残りました。

・「戦わない」という選択肢

しかし、ここで最も重要なのは、「戦争をしないためには、相手を倒せるだけの軍事力が本当に必要なのか」という問題です。

1920年代のワシントン体制は、「軍事力を無限に増やすのではなく、外交と条約によって安全保障を作る」という考え方を試みました。これは現在の国際政治にも通じる問題です。

軍事力を増やせば安心できるのか。

相手も軍事力を増やしたらどうなるのか。
軍縮は安全保障を弱めるのか、それとも強めるのか。
ワシントン会議は、こうした問題を世界規模で考えた最初期の重要な試みでした。

・それでも時代は暗転していく

1920年代の終わり、世界は大きく変わります。

1929年、アメリカで株価が大暴落。世界恐慌が始まりました。アメリカ経済は深刻な不況に陥ります。日本も輸出が減少し、農村は深刻な不況に見舞われます。失業。貧困。企業倒産。農産物価格の下落。社会不安。こうした状況の中で、「議会政治や国際協調では問題を解決できない」という考え方が各国で強まっていきます。

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