日本史と世界史で読み解く 日米物語 第16回(1) 世界恐慌と日米の分岐点

十三夜の月のイラスト

― 1929年、経済危機は二つの国をどこへ導いたのか ―

1929年10月、アメリカ・ニューヨークのウォール街で株価が大暴落しました。いわゆる世界恐慌の始まりです。「アメリカで株価が下がっただけ」と考えると、この出来事の本当の意味を見失ってしまいます。

当時のアメリカは、すでに世界最大級の工業国であり、金融の中心地でした。アメリカ経済が崩れると、ヨーロッパをはじめ世界各国へ影響が波及します。日本も例外ではありません。

しかし、ここで非常に興味深い歴史が始まります。同じ世界恐慌に直面した日本とアメリカは、まったく異なる政治的・社会的方向へ進んでいったのです。

アメリカでは、フランクリン・ルーズベルトが「ニューディール政策」を進め、政府が経済と社会に積極的に介入するようになります。

一方、日本では農村の困窮や失業、政治への不信が深まり、軍部や国家主義勢力の影響力が強まっていきます。そして1931年、満州事変が起こります。

1933年、日本は国際連盟からの脱退を通告します。こうして、1920年代にワシントン会議で築かれた国際協調の時代は終わりへ向かっていきました。

・1920年代の繁栄

世界恐慌を理解するためには、まず1920年代のアメリカ社会を見る必要があります。

第一次世界大戦後、アメリカ経済は急速に成長しました。自動車。冷蔵庫。洗濯機。ラジオ。映画。電気製品。こうした新しい商品が大量生産され、多くの家庭に普及していきます。

特に自動車産業の成長は目覚ましいものでした。ヘンリー・フォードの会社などが大量生産方式を発展させ、自動車は一部の富裕層だけのものではなくなっていきます。「大量生産」と「大量消費」。これが1920年代アメリカの経済成長を支える大きな柱でした。

・「アメリカン・ドリーム」の時代

都市には高層ビルが建ち並び、映画館や百貨店が発展します。ラジオから音楽やニュースが流れ、ジャズが大流行しました。女性の社会進出も進み、1920年には憲法修正第19条によって女性参政権が認められます。第一次世界大戦後のアメリカは、「新しい時代が始まった」という雰囲気に包まれていました。

しかし、その繁栄の裏側には大きな問題がありました。株式市場への熱狂1920年代後半になると、株式市場への投資が盛んになります。

企業の株価が上がる。「もっと上がるだろう」と考えて株を買う。株価が上がるので、さらに人々が株を買う。こうして株価上昇が株価上昇を生む状態になりました。しかも、借金をして株式を購入する人も増えました。つまり、「これからも株価は上がり続ける」という期待が社会全体に広がっていたのです。

しかし、経済が永遠に成長し続けることはありません。1929年、その期待が崩れます。
1929年10月24日 ニューヨーク証券取引所で株価が急落しました。「暗黒の木曜日」と呼ばれる日です。そして、その後も株価は下落を続けます。
10月29日にはさらに大規模な売りが発生。「暗黒の火曜日」と呼ばれました。

株価の暴落は、やがて銀行や企業にも影響します。企業が倒産する。銀行が破綻する。失業者が増える。消費が減る。企業の売上がさらに減る。また倒産する。こうした悪循環が始まりました。

2026年11月
月 火 水 木 金 土 日
 1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
30  

コメントを残す