八朔
八朔といえばみかんを連想される方が多いと思います。八朔とは本来、八月朔日つまり八月一日のことです。八朔は特別な日でこの頃に早稲の穂が実るので、農民の間で初穂を恩人などに贈る風習が古くからありました。このことから田の実節句(たのみのせっく)という別名もあります。この「たのみ」を「頼み」にかけ、武家や公家の間でも、日頃お世話になっている(頼み合っている)人に、その恩を感謝する意味で贈り物をするようになったそうです。また天正十八年’(1590)徳川家康が初めて江戸城に入ったことから、江戸幕府では正月に次ぐ大事な行事として諸大名は登城し将軍に祝辞をのべる習慣でした。諸大名は白帷子(しろかたびら)に長袴で控え将軍も白帷子に長袴姿で御目見(おめみえ)します。つまり白帷子は八朔のシンボルでした。
これを真似て吉原では八朔を大々的に祝う風習があり、遊女はみな白無垢を着て仲の町で花魁(おいらん)道中を行ったそうで、その様子が浮世絵に残っています。京都の祇園などの花街では八朔に芸妓や舞妓が黒紋付の正装で、普段お世話になっているお茶屋や踊りや地歌、三味線などのお師匠さんのお宅にあいさつに回るのが伝統行事になっているのですが、今は新暦8月1日になっているそうです。この日に祇園に行くと必ず舞妓さんに会えるので観光客も集まります。
地域によっては八朔祭というのもあり、有名なのが熊本県上益城郡山都町の八朔祭りで、自然素材で作った巨大な造り物にお囃子がついて、町内を練り歩きます。毎年、旧暦八朔に近い9月第1土曜日日曜日の2日間にわたって開催されています。とくに祭りに合わせて放水する国の重要文化財、通潤橋(つうじゅんきょう)の姿は見事だそうで、夜には通潤橋の近くで花火も打ち上げられると聞きました。通潤橋は一種の水路なのですが、放水が有名です。福井県美浜町では穀豊穣と子孫繁栄を願って、鼓や笛のお囃子と一緒に樽神輿を担いだ行列が田代公会堂から日吉神社まで進みます。この行列に続いて男性のシンボルをかたどったご神体(木製二尺)を持った天狗が進み、見物客の女性をご神体でつつきます。その女性は子宝に恵まれるとされています。福岡県遠賀郡芦屋町では「八朔の節句」として長男・長女の誕生を祝い、男児は藁で編む「わら馬」、女児は米粉で作る「だごびーな(団子雛)」を家に飾る行事が行なわれているそうです。香川県丸亀市では、男児の健やかな成長を祈り、その地方で獲れた米の粉で「八朔だんご馬」を作る風習があるそうで、その昔、讃岐国領主生駒氏の家臣で江戸の愛宕山の馬による階段上りで有名な曲垣平九郎に因んでいるそうです。香川県三豊市仁尾町や兵庫県たつの市御津町など、本来は旧暦3月3日に行われる雛祭りを八朔に延期する風習を持つ地域も存在するそうです。
みかんのハッサクという名前がついたのは明治19年(1886)で八朔の頃から食べられたからという伝承ですが、実際にはこの時期にはまだ果実は小さく食用には適さないたため12月~2月ごろに収穫され、1、2ヶ月ほど冷暗所で熟成させ酸味を落ち着かせたのち出荷されるので、冬から春にかけて出回り八朔の時期とはあっていません。
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