尖閣諸島の歴史
昨日の小笠原に続き、尖閣諸島の歴史概観です。1月14日は尖閣諸島開拓の日です。沖縄県石垣市が2010年に制定しました。明治28年(1895)のこの日、日本政府が尖閣諸島を日本領に編入する閣議決定を行ったことを記念しています。「尖閣諸島の日」や「尖閣の日」とも呼ばれることもあります。領土問題は関わる国によって主張が異なっています。そうでなければ紛争になるはずがありません。まず日本側(外務省の公式見解)から引用します。これをまとめたのがwikipedia の記述です。詳細は(https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/senkaku/pdfs/senkaku.pdf 外務省公式ページ)及び(https://ja.wikipedia.org/wiki/尖閣諸島)を参照してください。日本外務省の資料を元に概要のみが記されています。
1885年(明治18年)以降 - 日本が現地調査を何度も行った結果、無人島であり、中国・清朝の支配下にもないと確認。
1895年(明治28年)1月 - 日本の領土に編入することを閣議決定する。
1940年(昭和15年) - 無人島になる。
1946年(昭和21年)1月 - 連合国最高司令官総司令部覚書により日本の行政権が停止。米国による沖縄施政が開始。
1951年(昭和26年)9月 - サンフランシスコ平和条約に署名。沖縄の一部としてアメリカ合衆国の施政下に入る。中国・台湾は異議を唱えず。
1969年(昭和44年)5月 - 国際連合アジア太平洋経済社会委員会による海洋調査で、イラクの埋蔵量に匹敵する大量の石油埋蔵量の可能性が報告される。
1971年(昭和46年)6月 - 沖縄返還協定が結ばれる。同協定の合意議事録で返還対象区域に尖閣諸島も含まれ日本に返還。
同年6月 - 台湾外交部が声明で初めて領有権を主張。
同年12月 - 中国が外務省声明で初めて領有権の主張。
1992年 (平成4年) - 中国が「領海及び接続水域法」を制定。
2012年(平成24年)9月11日 - 日本政府は魚釣島、北小島と南小島の3島を埼玉県に所在する地権者から20億5000万円で購入し、日本国への所有権移転登記を完了した。
小笠原諸島と似たような経緯を辿っていることがわかります。超簡略化すれば、日本は敗戦により一旦は連合国(実質米国)に占領され、サンフランシスコ条約により、沖縄の一部とされ、1971年の沖縄返還により日本領となったということです。その前年に石油の埋蔵の可能性が報告されて、台湾と中国が領有を主張し始めた、ということです。1968年国連アジア極東経済委員会(ECAFE)は尖閣諸島周辺で海底調査を実施。その結果をまとめた「東シナ・黄海の地質構造等に関する報告書」に「台湾と日本との間の浅海底は、世界的な産油地域となるであろうと期待される」とあるそうです。尖閣諸島周辺に存在する石油の埋蔵量が約1000億バレルと試算されました。その後の詳細な調査が実施された結果、1994年の試算では埋蔵量は約33億バレルと埋蔵量は当初の予測よりも少なく見積もられているそうです。
原油高の現在、近くにある油田開発が話題にならないのは不思議です。日本が領有を主張するならば堂々と採掘すればよさそうなものですが、今議論の中心になっているのは台湾有事の際の軍事的意味です。そうであればなおのこと、日本にとって核心的利益があるので、もっと必死に開発しなければならないのですが、なぜか環境問題や漁業問題になってしまっています。中東など遠方から船で運んできて備蓄するという現状はリスクだらけです。すぐ近くから運べば輸送コストも低く、他国に売らないのであれば国際原油価格を気にする必要もありません。地産地消のメリットだけです。沖縄返還から50年、その間、放置してきたことの損は計り知れないです。
画像出典:内閣官房ウェブサイト
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