呉服屋
今でも地方に行くと多少、残っていますが、呉服屋という商売は絶滅しつつあります。地名には呉服町という町名が残っている地域があります。そもそも呉服というのは、古代中国の呉(ご)の国から来ており、絹織物のことを意味していました。絹織物そのものというより、絹糸を織って反物にする技術が応神天皇の時代(4世紀後半から5世紀)に伝わったとされていますから、古くから日本にありました。今ではゴフク としか読みませんが、古代はクレハトリという読み方もあったそうです。
絹織物を呉服というのに対し、綿や麻の織物を太物(ふともの)といいます。糸の太さからそう呼ばれたそうです。実際、昔は呉服屋に対し太物屋という商売があり、高級品である呉服屋は高級品店のイメージで、あの三越や伊勢丹など後にデパートとなった店も元は呉服店でした。しかし次第に呉服屋でも太物を扱うようになり、太物専門店はなくなり、呉服屋が着物販売の代名詞になっていきました。明治以降になり、洋装が普及するようになると洋装店や洋品店が増え、呉服屋は減り続けました。
洋装を洋服というようになり、それに対して和服という表現が普及するようになり、さらに和服は着物と呼ばれるのが普通になってきました。
浴衣や振袖、留袖に至るまで、一般的に着物と呼ばれている衣服は全てが前開きになっています。甚平や作務衣といった上下が分かれている着物においても、上着は必ず前開きとなっています。着物を着る際には、必ず右の身頃(みごろ)を肌に重ねた後に左の身頃をその上から被せる形にします。これを「右前」と呼びます。その逆、つまり左の身頃を肌に重ねた後に右の身頃をその上から被せる形は「左前」と呼び、死体に死に装束を着せる際の着付け方となるため、避けることになっています。最近は誤解している人も多いらしく、極端な例として、ドラマの中の和服の着付けが左前になっていて、視聴者から指摘されるということもあるそうです。着付けの右前というのは着ている人からみてまず右の衿を合わせ、 次に左の衿を右の衿に上に重ねて合わせます。つまり着物を着ている人を他人が見た時に衿が小文字のyのようになっている形が正しい形です。左の前見頃が前になるので、これが左前と誤解している原因のようです。前とはサキと読むのが昔からありますが、右が先という意味を理解せず、物理的な前と後ろの意味と考えた勘違いです。
左前は死に装束であることから、事業などが上手く行かなくなって、倒産しそうになっている状態を左前といいます。左前は不吉なことなので、着物を着る場合、とくに礼装として正式な場に臨むことは避けなくてはなりません。こうした禁忌も慣習なのですが、それが失われていくというのは問題があるといえます。
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