フランス革命 Révolution française
パリ祭の名で知られている、フランス革命記念日(7月14日)はフランスの祝日 (fête nationale)です。
フランス革命 (Révolution française) のシンボルである、1789年7月14日バスティーユの奪取 (prise de la bastille) と1790年の建国記念日(Fête de la Fédération)を記念して毎年フランスで祝われる祝賀行事です。
革命記念日はフランスでは「Quatorze Juillet」(7月14日)と呼ばれ、パリ祭と呼ぶのは日本だけのようです。そもそも、日本でパリ祭と呼ぶようになったのは、ルネ・クレール監督のフランス映画『Quatorze Juillet』の邦題が『巴里祭』だったからと言われてます。(https://france-jp.net/02info/02etc/10.html)
あるいは「ベルサイユのバラ」とか「レ・ミゼラブル」などを見ると、当時の背景が詳しくわかります。
バスティーユというのはパリ市内にあった要塞で、監獄として使われるようになったものです。日本では城を牢屋にする、という発想はないですが、英国のロンドン塔など、西洋ではよく見かけます。バスティーユ監獄に政治犯が閉じ込められていて、専制政治への反抗として、当時市内に暴動が続いており、この監獄襲撃をきっかけとしてフランス革命が起こったとされていて、その襲撃が7月14日だったことが革命記念日の由来です。詳細は歴史の教科書に載っていますから、興味のある方はご覧ください。
現代の日本人から見ると、民衆はまず暴動から始める、という感覚があまりピンと来ないと思います。そしていくら政治犯救出とはいえ、監獄を襲うという感覚もよくわかりません。しかし西洋ではそれが革命なのです。言い換えると、革命に暴力はつきもので、戦うための武器弾薬も奪えばよい、ということになります。日本でも太閤刀狩以降、民衆が武器をもつことは禁じられており、政府への反乱はありましたが、直訴やムシロ旗はあっても、奉行所を襲って武器を手に入れて武装する、という例は稀有だと思います。まして市中を荒らしまわって強奪する暴動という行動は民衆の支持を得られません。この暴動や武器簒奪から革命が始まる、という思想は今でも西欧には残っているかもしれません。フランス革命により民主化が行われ、自由が得られるようになった、という評価が定説ですが、それに憧れる人はともかく、普通の日本人は伝統的に暴動を好まない国民性だと思われます。ムシロ旗は今から見るとデモですが、それですら自重してきた歴史があります。日本にも専制政治がなかったわけではないのですが、君主は民のことを考えるべき、という思想があり、君主とその臣下たちに、そのことを思い起こさせればよかったわけです。フランス王政はマリーアントワネットが象徴するように、民のことなど無視していたわけで、ある意味、それもフランスの伝統といえます。
今のパリは、フランス革命当時とは違う事情で暴動が頻発しています。移民政策という民族闘争で、背景に経済的困窮がある点は同じです。そのことをフランス国民はどう考えるでしょうか。
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