七福


七福

7月29日はシチフクと読めます。七福という名のお店はたくさんあるので、縁起がいいようです。個人的には「七ふく」という薬の名前が懐かしいです。今は小林製薬が引きついでいる(https://www.kobayashi.co.jp/brand/hichifuku/history/index.html)そうですが、江戸時代から続く万能薬として有名でした。5代将軍綱吉の時代、元禄3年(1690年)のころに大坂・道頓堀の高津(こうづ)で和漢屋の主人である初代伊藤長兵衛さんが創製したのが「丸薬七ふく」の始まりとなります。当時の商品名は『毒下し薬 ひゑくすり』といい、排泄をうながし、おなかの中にたまっている悪いものを排出すれば万病が治ると考えられていました。(同上)現在では便秘薬ということになっています。

江戸時代までは、殿様でもない一般人にとって、薬の種類は少なく、すべて万能薬と思われていたようです。幕末に蘭方医という西洋医学が入ってくるまで、医者とは薬師(くすし)のことで、薬草を処方する仕事でした。家康のような薬オタクは専門書(本草綱目)などを読んで、植物を採取あるいは栽培して、薬研(やげん)でゴリゴリして薬を作ったでしょうが、普通は医者から買った薬を飲む程度でした。落語に「葛根湯医者」というネタがあるように、医者も免許制ではなく、適当になれたようです。坊主もいい加減な人がいましたし、易者や祈祷師はさらに適当な職業だったようです。それでも人々は病気の平癒をこれらの人に頼り、神仏にお願いするしかなかったのが実情です。そもそも病を得る前に十分に食べられることの方が重要でした。基礎体力が欠けている状態だったでしょうから、少しの薬も効いたのだと思われます。また神仏へ祈ることで安心感も得られたと思われます。「病は気から」というように、体の気の流れが大切だと考えられていました。

偶然かどうかわかりませんが、「七ふく」は7種類の漢方薬を丸薬にしたものだそうです。丸薬にすることで容量を調整できる長所があったのと飲みやすさがあったみたいです。それ以前は、干した薬草を煎じて飲むのが主流でしたから、調合も大変ですし、飲むのも面倒です。印籠には丸薬を数種類入れて旅先に持ち歩いたようです。水戸のご隠居のように敵に見せるための道具ではありません。印籠の中は数段に分かれていて、分類する機能もあったので昔のピローケースです。

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