弥生朔日
旧暦では本日から弥生になります。朔日(さくじつ)というのは「ついたち」という読み方もありますが、本来は満月日に対応する月が完全に欠けている状態を意味しています。これから次第に月が出てくるという意味で新月という呼び名もあります。これから毎日少しづつ月が増えていって、15日目に満月になる、という意味です。月の満ち欠けは晴れていれば毎日観測できますし、季節によって出る時間、入る時間も変わるので、それで一日の変化も年間の変化も簡単に観測できます。それが太陰暦です。月が太陰、日が太陽です。太陽という呼び名は普及していて、日より太陽という方が一般的です。それに対して、月を太陰ということがあまりないのは不思議です。太陽も太陰も陰陽思想が起源ですが、太陰は縁起が悪そうな感じがするからでしょうか。太陽と太陰があれば、中陽と中陰、小陽と小陰があります。それぞれに日と月、火と水、木と金が当てはめられたのが陰陽五行説で、1週間の曜日はこれに基づき命名されています。陰陽思想では陽と陰とは互いに対立する属性を持った二つの気であり、万物の生成消滅と言った変化はこの二気によって起こるとされています。陰陽思想では、原初は混沌(カオス)の状態であると考え、この混沌の中から澄んだ明白な気、すなわち陽の気が上昇して天となり、濁った暗黒の気、すなわち陰の気が下降して地となりました。この二気の働きによって万物の事象を理解しようとします。そこで陰陽がバランスよく次々に小さくなりながら続くのが1週間という訳です。陰陽どちらでもないのが土です。このような曜日の配置は西洋の1週間の曜日の命名と全く違っています。英語の時間に習った曜日名がSundayとMondayはなんとなく連想できても、後がまったく連想できないのはそういう理由です。火曜日から土曜日の語源は調べてみてください。神話が関係しています。
弥生(やよい)の語源は「いやおい」で、「いや」は「だんだん」とか「ますます」という意味の古語です。今でも弥栄(いやさか)という使われ方もあります。万歳ではなく弥栄ということもあります。「おい」は「生い茂る」の「おい」で草木の芽が出るという意味です。弥生というのはだんだん芽が出てくる月という意味です。弥生にはいろいろな異名があり、桜月、花見月、花咲月、花月など桜との関係が多く、実際、この頃に桜が咲くことが多いのです。古典などにでてくる名称としては春惜月、晩春、暮春、殿春のような表現もあり、春は正月から始まるので、その春も弥生で終わる、ということを表しています。あまり知られていない異名として竹秋というのがあります。弥生に秋というのも違和感があると思いますが、冬でも青い竹の葉がこの頃になると黄ばんでくることから、竹秋といいます。実際には竹の葉が黄ばむのは水分と温度によるもので、弥生になると黄ばむとは限りません。ただ急激な温度変化がこの時期に多いので、竹秋を感じてみるのも風流です。殿は「しんがり」のことで、最後尾という意味です。春の終わりということです。弥生で春が終わるので、行く春を惜しむ月です。
月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 | 日 |
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