教師の目線
日本では教室の多くに教壇があります。小中学校ではほとんどなくなっていますが、大学ではまだ残っているところが多くあります。教育改革は下から上に波及していくため、古いシステムが大学に残滓が見られるわけです。教壇がなくても、先生は立って授業をし、生徒は座って聞くのが普通です。なぜなのか、と聞いても、「そういうものだから」というような曖昧な答えが返ってくるだけです。生徒の側から見ると、先生が見えるということが安心感につながり、先生の姿が見えない状態だと、ついいたずらしたくなります。実際、生徒は「先生の目を盗んで」机の下で漫画読んだり、弁当食べたりします。先生が板書している時が一番のチャンスです。先生の目線は生徒にとって重要な行動の指針になっています。
先生は生徒を上から目線で見ることが多いため、つい言い方や話す内容が「上から目線」になりがちです。教室の中だけなら、それもやむをえないことなのですが、習慣になってしまうと周囲との関係がぎくしゃくしがちです。「先生風を吹かせる」ことになり、相手に不快感を与えることがしばしばです。これは教師だけでなく、社会的地位が高くなるとどうしてもおきがちな現象です。社長さん、役員さん、官僚、政治家などにその傾向が見られます。とくに政治家に顕著に表れます。昔の学生がよく歌った「デカンショ節」に「先生、先生と威張るな先生、先生、生徒の成れの果て」というのがありましたが、正に先生は先生として生まれたわけでなく、最初は生徒であったわけで真理をついています。七代目桂文楽はマクラで「実ほど頭(こうべ)を垂れる稲穂かな」という格言をよく使いました。事実、サゲが終わってお辞儀をする時には床に額が着くほどの低姿勢のお辞儀をしていました。これは自身の人生の姿勢を表していたのだと思います。
教師が目線を低くする方法はいくらでもあります。大学のゼミなどでは、教授も学生も座って討議することが普通であり、それにより活発な議論が出てきます。座談会というのは元々座敷に座って話し合う会です。それでも上座とか下座とかがあり、身分の上下が区別されていて、自由な話し合いというのはなかなか難しかったようです。これは目線とは別の位置の力学ですが、それについては後日述べることにして、今は目線に限った話題とします。
大学などの講義では階段教室という、教師が下の方に位置し、学生が見下ろす形の講義もあります。この形式の利点は教師が下から見上げる形になり、生徒全員を「見渡す」ことができる点です。普通教室では教師は立っていても、生徒全員を見渡しながら話すことは難しく、どうしても後ろの方には注意がいかなくなります。その弊害をなくしたのが階段教室です。とくに大勢の学生を相手にする場合は階段教室方式が便利です。階段教室では教師は「上から目線」の話し方をすることは心理的に意外に難しく、みんなにわかってもらえるような話し方に自然になります。
目線は状況に合わせざるをえませんから、環境整備が大切です。
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