教師はガイド
欧米の教員養成課程を体験した日本人は少ないと思います。せっかく欧米に留学しながら、学んでくるのは教科書とかカリキュラムとか教育理論だけです。それは留学した人が教員であること、そして留学目的が新技術の習得が目的にあるためです。欧米の教員養成の講義では「教員はガイドである」ということが強調されます。この思想は日本人教師には受け入れがたいらしく、最初から興味がないとか、日本では通用しない、などとして排除されてしまいます。日本では教育は先生が生徒に教えるもの、という概念が浸透しており、生徒自身が学んで習得していくものだ、
という考えはわかっていても、意外と信じられていません。生徒自身が学んでいくものであれば、教科書さえ与えておけば、生徒は勝手に学習していくはずだ、というわけです。それは極論であって、いわゆる独学です。そういう生徒も稀にいるかもしれませんが、それは指導者がいない場合であって、普通は学習する環境と指導者が不可欠です。
ここでいう指導者とは訓練者trainerか講師instructorかという議論が出ますが、他にもコーチとかガイドという指導者もいます。ガイドというのは日本では案内人という訳語が定着しているせいか、観光ガイドとか、教科書ガイドのような手引書を意味しますので、正規の教育には入らないと思われています。しかしガイドラインという用語が示すように、英語では案内というレベルではなく強い指導力を意味しています。ガイドラインというのは通常「守るべきルール」とほぼ同義になっています。手引書にはマニュアルという訳語もあり、マニュアル通りにすることが義務化されていることの方が多いです。実際、山岳ガイドは指導に従うべき存在であり、工業用のガイドは定規と同義で、その通りにやらねばならない存在です。つまり英語のguideは意味が広いのですが、日本人留学生はそのニュアンスが受け取れず、「教師はガイドである」という思想が理解できないでいます。講義では山岳ガイドの例が用いられることが多く、登山者が道から外れて危険な目に合わないように、また個人のペースを乱さないように指導することが仕事だというような説明がなされます。そのためにはガイドは山岳ルートに知悉し、何度も登山経験があって、自らも以前は登山者であったことが求められる、といった解説がなされます。しかし日本の教師はこの条件をクリアしている人は案外少ないです。以前は学習者であった点はクリアしているのは当然でしょうが、教える内容に知悉しているかどうか、学習経験として成功した経験と失敗した経験がたくさんあるか、という点は疑問です。教師のほとんどは優等生出身で挫折経験は少なく、案外専門知識は少ないのが実情です。マニュアル付の教科書を教えればいいことになっているので、教科の知識を深めようという教師は少なく、またその時間もないのが実情です。これではコーチもガイドもできません。生徒集団の平均値を上げれば、それが実績となり、昇進への道につながります。一人の天才を作りだしても、それが評価されるのは例外です。
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