教育用語の改変
どこの業界にも専門用語という一般になじみのない用語が氾濫していますが、教育界も例外ではなく、それが何十年も続いているところが守旧的です。一番ひどいのは政治用語ですが、それに匹敵するくらい古い伝統のままになっています。これはとりもなおさず業界に古い体質が残っていることを表します。
たとえば前回コラムに書いた「机間巡視」です。先生が生徒の間をぐるぐる歩き回ることをそう呼ぶのですが、生徒にとって鬱陶しいだけかもしれません。「板書」というのも教育用語で、黒板に字を書くことをいうのですが、黒板がホワイトボードになっても板書と言っています。一番不思議なのは「教鞭」です。教師をすることを「教鞭をとる」といいますが、教鞭とは何ですか、と聞かれると答らえる先生はまずいないでしょう。そもそも教鞭を見たことがないはずです。鞭はムチのことで、昔のフランスで、先生は実際に鞭を持っていて、罰として生徒に掌を出させて、それを叩いたそうです。その鞭で黒板の字を指したりもしていました。今なら「指し棒」で、アンテナみたいに伸ばすタイプのものもあり、テレビの天気予報などでも使われています。近代的なものではレーザ・ポインタというのもあります。しかし「指し棒を使う」では教師のような感じがしないせいでしょうか、未だに「教鞭を執る」を使う人が多いようです。
教育用語を紹介しているサイト(https://tuushin.jp/word/)もあり、実の多くの用語が紹介されていて辞典のようになっています。最近はやたらカタカナ用語が増えているのは、政治とのかかわりが強いせいかもしれません。政治家は一般人にわからないようなカタカナ語を造語して都合の悪いことを隠そうとしているかのような印象を受けます。英語からの借用のフリして、勝手に作った英語圏では通用しない日本英語を濫造する傾向にあります。要するに自分たちだけわかればよいのであって、国民が知らなくてよい、という発想が念頭にあるからでしょう。これは昔は漢語で同じことが行われていて、日本漢語が多く造語されました。漢語が英語に変わっただけのことです。少し前までは、中学英語程度の語彙であったのが、最近は高等レベルになってきたのは、一般の英語力が上がってきたので、さらにわかりにくくしているのかもしれません。「アカウンタビリティ」「ソシオメトリー」「PDS」「メンター」などは、一部は他の分野でも使うことがあるようですが、一般人には馴染みがなく、教師の側も古い先生には馴染みがないので、教員研修などで指導されているようです。
専門語彙のことをジャーゴン、または符牒といいますが、専門家同士には便利で誤解なく伝えるには必要な用語ですが、反面、業界人だけを囲い込む効果もあります。言い換えると一般社会から閉じた社会になりやすいので注意が必要です。また専門用語を振り回すことで専門家になったような気になる人が多いもの困りものです。「開かれた教育」はまず用語から始めましょう。
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