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処暑新着!!

2025年の処暑は、8月23日(土曜日)にあたります。二十四節気の第14に位置し、暦のうえで「暑さがやや落ち着き始める時期」とされる節目です。「処暑」という語は、「処(止まる・とどまる)」と「暑(暑さ)」から成り、猛暑のなかにもようやく「暑さが少しずつ落ち着いてきたな」と感じられる時期を象徴しています。太陽が黄経150度の位置に達した瞬間が処暑であり、これは毎年8月22日~23日頃にあたります。こ・・・

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ボズワースの戦い ─ 薔薇戦争を終わらせた決定的一戦新着!!

1485年8月22日、イングランド中部レスター近郊のボズワース原野で、後世に「ボズワースの戦い」と呼ばれる歴史的戦闘が行われました。この戦いは、30年にもおよぶ王位継承争い「薔薇戦争」の最終章であり、イングランド中世史における大きな転換点でもあります。リチャード3世の敗北とヘンリー・テューダーの勝利は、テューダー朝の成立へとつながり、やがて絶対王政への道を切り開くことになるのです。 薔薇戦争は、1・・・

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トロツキー暗殺 ─ 革命の理想と粛清の果てに新着!!

1940年8月21日、メキシコ・コヨアカンにある一軒の邸宅で、ソビエト共産主義運動の象徴的存在であったレフ・トロツキーが凶刃に倒れました。犯人はソ連の秘密警察(NKVD)に属するラモン・メルカデルという男でした。暗殺の動機は明白であり、それはソ連の独裁者ヨシフ・スターリンの粛清政策の延長線上にありました。かつての革命の同志が、祖国を追われ、亡命先で暗殺されるというこの事件は、20世紀前半の国際共産・・・

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奉天事件がもたらした日本の対中政策強化新着!!

20世紀初頭、日本は日清戦争と日露戦争を経て、朝鮮半島と中国東北部(満州)において、軍事・経済両面で急速に勢力を拡大していました。その渦中に起きたのが、1910年8月20日の「奉天事件(ほうてんじけん)」です。この事件は、南満州鉄道をめぐる鉄道爆破未遂事件であり、当時の日本政府による中国への影響力強化の口実ともなった重要な出来事です。 まず背景として、日本がなぜ満州に強い関心を持っていたかを理解す・・・

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イラン(ペルシアの末裔)の近代史新着!!

1953年8月19日、イランの首都テヘランで、後に「8月クーデター」と呼ばれる政変が発生しました。これは当時の首相モハンマド・モサッデクを追放し、国王モハンマド・レザー・パフラヴィーの権威を回復させた事件であり、イランの近代史に深い影を落とす出来事です。このクーデターにはイラン国内の保守勢力に加え、アメリカCIAとイギリス秘密情報部(MI6)が関与していたことが後に明らかになり、冷戦期の中東情勢に・・・

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エジソンが録音した「音」 ─ 音声記録の夜明け新着!!

1877年8月18日、アメリカの発明家トーマス・エジソンは、人類史における画期的な実験に成功しました。それは、「音を記録し再生する」という夢のような技術、すなわち蓄音機(フォノグラフ)の発明です。エジソンはこの日、「メリーさんの羊(Mary had a little lamb)」という英語の童謡の一節を、錫箔を巻いた円筒に録音し、再生することに成功しました。これが、人類が音声を記録した最初の瞬間で・・・

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終戦後の混乱 ― 1945年8月17日の現実新着!!

1945年8月15日、日本はポツダム宣言を受諾し、昭和天皇による玉音放送によって国民に終戦が告げられました。しかし、それはあくまで「政治的決断」であり、戦場の現実とは必ずしも一致していませんでした。 8月17日、全国の多くの人々は「戦争が終わった」という安堵を感じ始めていた一方で、遠隔地や戦線では依然として混乱が続き、犠牲者も出ていました。最大の要因は、停戦命令が全ての戦域に即時には伝わらなかった・・・

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戦後最初の犠牲新着!!

1945年8月15日正午、日本国民はラジオから流れる昭和天皇の玉音放送を通じて、ポツダム宣言受諾と戦争終結を知りました。長く続いた戦火の日々が終わったという安堵は、疲弊しきった人々にとって救いであり、同時に敗戦の痛みを伴う瞬間でもありました。 しかし、この“終戦”は必ずしも即座に戦闘の終結を意味しませんでした。通信網の寸断や情報伝達の遅延、現地部隊の判断の遅れなどにより、翌16日にも一部地域では戦・・・

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玉音放送新着!!

例年8月15日になると、ラジオに流れた玉音放送がテレビで流れますが、全文は以下です。 【終戦の詔書(玉音放送の原文)】 朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ收拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク 朕ハ帝國政府ヲシテ米英支蘇四國ニ對シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ 抑々帝國臣民ノ康寧ヲ圖リ萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ、皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々措カサル所、曩ニ米英二國ニ宣・・・

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終戦前夜─ポツダム宣言受諾という決断新着!!

1945年8月14日、日本は一つの重大な決断を下しました。ポツダム宣言を正式に受諾し、連合国に対して降伏の意思を伝えるという決断です。 ポツダム宣言の主な内容は第1条〜第5条:戦争の現状認識(日本の軍国主義が世界平和を破壊したことを非難します。)日本国民がこれ以上苦しむ前に、無条件降伏をするよう警告しています。第6条:戦争継続の結果:降伏しない場合、日本には「完全な破壊」が待っていると警告していま・・・

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終戦前夜の空襲と、戦後半世紀を経た「謝罪」

1945年8月13日、日本がポツダム宣言を受諾し、終戦へと向かうわずか2日前のこの日、日本各地では依然として激しい空襲が続いていました。東京・新潟・大垣などの都市部が、アメリカ軍による爆撃の標的となり、多くの民間人が命を落としました。戦争終結が目前に迫る中で、なぜこのような大規模な攻撃が続いたのか。その背景には、戦略的意図や軍内部の混乱、情報の不確かさなど、複雑な事情が絡んでいました。この時期、す・・・

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パーソナルコンピューター革命の幕開け─IBM 5150の登場

1981年8月12日、アメリカのコンピューター企業IBMが、初のパーソナルコンピューター「IBM 5150」を発表しました。この出来事は、世界のIT史において非常に重要な転換点であり、現代社会の情報化に大きな影響を与えました。当時のIBMは、大型コンピューター(メインフレーム)の分野では圧倒的なシェアを誇っていましたが、個人向けコンピューター市場ではAppleやCommodore、Tandyといっ・・・

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ワイマール憲法の理想と現実

1919年8月11日、ドイツ共和国は新たな憲法「ワイマール憲法(Weimarer Verfassung)」を公布しました。これは第一次世界大戦の敗戦と帝政の崩壊を経て、近代立憲主義の理想を掲げた新国家の設計図でした。舞台となったのは臨時国民議会が置かれたワイマールの地で、そこで誕生したこの憲法は、当時としては極めて先進的な民主主義体制を打ち立てる試みでした。 ワイマール憲法の最大の特徴は、「国民主・・・

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8月10日―歴史の分岐点に刻まれた一日

暦の上ではただの一日ですが、歴史を振り返ると、重要な節目が見えてきます。とくに1945年8月10日は、日本の敗戦が現実へと動いた日として特別な意味を持っています。長崎への原爆投下の翌日となる1945年8月10日、日本政府はポツダム宣言の受諾を正面から表明しました。「天皇の立場は保障されること」という条件付きでの受諾の意図を、米国に伝えたのです。この対応は、米国側が「天皇制の存続について含みを残す表・・・

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二重の衝撃 ―1945年8月9日、原爆とソ連の侵攻

1945年8月9日は第二次世界大戦末期の日本にとって決定的な二重の衝撃がもたらされた日でした。一つは午前11時02分、長崎市にプルトニウム型原子爆弾「ファットマン」が投下されたこと。もう一つはその数時間前、ソ連が日ソ中立条約を一方的に破棄し、日本に宣戦布告したうえで、満州(中国東北部)と朝鮮半島北部への大規模侵攻を開始したという事実です。日本にとって、東と西の両方から突き刺さるような軍事的圧力が同・・・

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ナポレオンの終焉

1815年8月8日、ナポレオン・ボナパルトはイギリスによって大西洋の孤島、セントヘレナ島へと送られました。これは単なる流刑ではなく、ヨーロッパを揺るがした英雄の最終章であり、帝国の夢の終焉を象徴する歴史的事件でした。 日本では多少誤解が広がっていますが、ナポレオンは名であり、姓はボナパルトです。1804年に皇帝となって以降、彼は「Napoléon Ier(ナポレオン1世)」と名乗りました。王族や皇・・・

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立秋 ― 暦のうえで秋が始まる日

日本の季節は、古来より、季節の変化をより細やかに捉えるために考案されたのが二十四節気です。そのひとつである 「立秋(りっしゅう)」は、文字通り「秋の始まり」を告げる節目の日として、今なお暮らしや文化の中に息づいています。今年の立秋は 8月7日。この日を境に、暦のうえでは秋に入ります。とはいえ、実際には連日の猛暑が続き、涼しい風や秋の気配を実感するには程遠い状態です。それでも、立秋には独特の意味と風・・・

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アメリカと日本の所得税の歴史

現代の私たちの生活に密接に関わる所得税ですが、その背後には国家の在り方、戦争、社会制度の変遷が複雑に絡み合っています。特に注目すべきは、1861年8月5日、アメリカ合衆国で初めて所得税制度が導入されたということです。この歴史的な出来事は、税制の面から国家の成長と危機管理能力を如実に物語っています。アメリカの所得税導入は、南北戦争(1861年–1865年)という未曾有の国家的危機に対応するためでした・・・

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箸と橋の日

日本人は、語呂合わせから生まれた記念日が大好きなようです。8月4日は、誰もが予想できる「箸の日」と「橋の日」です。同音異義語が文化と暮らしの多様な側面をつなぐ契機となっていることがわかります。 箸の日は、1980年にわりばし組合(現:日本箸文化協会)によって制定されました。この日は、私たちが日々使っている箸の大切さを見直し、正しい使い方を学び直す日として、各地で関連行事が行われています。東京の日枝・・・

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「ハチミツの日」と「ハサミの日」

8月3日は日本の文化や暮らしの中に深く根ざした2つのユニークな記念日が存在します。それが「ハチミツの日」と「ハサミの日」です。どちらも語呂合わせから生まれた記念日ではありますが、その背後にはそれぞれの道を究めた人々の思いや、日本人の生活と文化に対する深い関わりが見えてきます。 「ハチミツの日」は、1985年に全日本はちみつ協同組合と日本養蜂はちみつ協会によって制定されました。8(はち)3(みつ)の・・・

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