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玉音放送
例年8月15日になると、ラジオに流れた玉音放送がテレビで流れますが、全文は以下です。 【終戦の詔書(玉音放送の原文)】 朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ收拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク 朕ハ帝國政府ヲシテ米英支蘇四國ニ對シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ 抑々帝國臣民ノ康寧ヲ圖リ萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ、皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々措カサル所、曩ニ米英二國ニ宣・・・
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終戦前夜─ポツダム宣言受諾という決断
1945年8月14日、日本は一つの重大な決断を下しました。ポツダム宣言を正式に受諾し、連合国に対して降伏の意思を伝えるという決断です。 ポツダム宣言の主な内容は第1条〜第5条:戦争の現状認識(日本の軍国主義が世界平和を破壊したことを非難します。)日本国民がこれ以上苦しむ前に、無条件降伏をするよう警告しています。第6条:戦争継続の結果:降伏しない場合、日本には「完全な破壊」が待っていると警告していま・・・
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終戦前夜の空襲と、戦後半世紀を経た「謝罪」
1945年8月13日、日本がポツダム宣言を受諾し、終戦へと向かうわずか2日前のこの日、日本各地では依然として激しい空襲が続いていました。東京・新潟・大垣などの都市部が、アメリカ軍による爆撃の標的となり、多くの民間人が命を落としました。戦争終結が目前に迫る中で、なぜこのような大規模な攻撃が続いたのか。その背景には、戦略的意図や軍内部の混乱、情報の不確かさなど、複雑な事情が絡んでいました。この時期、す・・・
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パーソナルコンピューター革命の幕開け─IBM 5150の登場
1981年8月12日、アメリカのコンピューター企業IBMが、初のパーソナルコンピューター「IBM 5150」を発表しました。この出来事は、世界のIT史において非常に重要な転換点であり、現代社会の情報化に大きな影響を与えました。当時のIBMは、大型コンピューター(メインフレーム)の分野では圧倒的なシェアを誇っていましたが、個人向けコンピューター市場ではAppleやCommodore、Tandyといっ・・・
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ワイマール憲法の理想と現実
1919年8月11日、ドイツ共和国は新たな憲法「ワイマール憲法(Weimarer Verfassung)」を公布しました。これは第一次世界大戦の敗戦と帝政の崩壊を経て、近代立憲主義の理想を掲げた新国家の設計図でした。舞台となったのは臨時国民議会が置かれたワイマールの地で、そこで誕生したこの憲法は、当時としては極めて先進的な民主主義体制を打ち立てる試みでした。 ワイマール憲法の最大の特徴は、「国民主・・・
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8月10日―歴史の分岐点に刻まれた一日
暦の上ではただの一日ですが、歴史を振り返ると、重要な節目が見えてきます。とくに1945年8月10日は、日本の敗戦が現実へと動いた日として特別な意味を持っています。長崎への原爆投下の翌日となる1945年8月10日、日本政府はポツダム宣言の受諾を正面から表明しました。「天皇の立場は保障されること」という条件付きでの受諾の意図を、米国に伝えたのです。この対応は、米国側が「天皇制の存続について含みを残す表・・・
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二重の衝撃 ―1945年8月9日、原爆とソ連の侵攻
1945年8月9日は第二次世界大戦末期の日本にとって決定的な二重の衝撃がもたらされた日でした。一つは午前11時02分、長崎市にプルトニウム型原子爆弾「ファットマン」が投下されたこと。もう一つはその数時間前、ソ連が日ソ中立条約を一方的に破棄し、日本に宣戦布告したうえで、満州(中国東北部)と朝鮮半島北部への大規模侵攻を開始したという事実です。日本にとって、東と西の両方から突き刺さるような軍事的圧力が同・・・
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ナポレオンの終焉
1815年8月8日、ナポレオン・ボナパルトはイギリスによって大西洋の孤島、セントヘレナ島へと送られました。これは単なる流刑ではなく、ヨーロッパを揺るがした英雄の最終章であり、帝国の夢の終焉を象徴する歴史的事件でした。 日本では多少誤解が広がっていますが、ナポレオンは名であり、姓はボナパルトです。1804年に皇帝となって以降、彼は「Napoléon Ier(ナポレオン1世)」と名乗りました。王族や皇・・・
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立秋 ― 暦のうえで秋が始まる日
日本の季節は、古来より、季節の変化をより細やかに捉えるために考案されたのが二十四節気です。そのひとつである 「立秋(りっしゅう)」は、文字通り「秋の始まり」を告げる節目の日として、今なお暮らしや文化の中に息づいています。今年の立秋は 8月7日。この日を境に、暦のうえでは秋に入ります。とはいえ、実際には連日の猛暑が続き、涼しい風や秋の気配を実感するには程遠い状態です。それでも、立秋には独特の意味と風・・・
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アメリカと日本の所得税の歴史
現代の私たちの生活に密接に関わる所得税ですが、その背後には国家の在り方、戦争、社会制度の変遷が複雑に絡み合っています。特に注目すべきは、1861年8月5日、アメリカ合衆国で初めて所得税制度が導入されたということです。この歴史的な出来事は、税制の面から国家の成長と危機管理能力を如実に物語っています。アメリカの所得税導入は、南北戦争(1861年–1865年)という未曾有の国家的危機に対応するためでした・・・
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箸と橋の日
日本人は、語呂合わせから生まれた記念日が大好きなようです。8月4日は、誰もが予想できる「箸の日」と「橋の日」です。同音異義語が文化と暮らしの多様な側面をつなぐ契機となっていることがわかります。 箸の日は、1980年にわりばし組合(現:日本箸文化協会)によって制定されました。この日は、私たちが日々使っている箸の大切さを見直し、正しい使い方を学び直す日として、各地で関連行事が行われています。東京の日枝・・・
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「ハチミツの日」と「ハサミの日」
8月3日は日本の文化や暮らしの中に深く根ざした2つのユニークな記念日が存在します。それが「ハチミツの日」と「ハサミの日」です。どちらも語呂合わせから生まれた記念日ではありますが、その背後にはそれぞれの道を究めた人々の思いや、日本人の生活と文化に対する深い関わりが見えてきます。 「ハチミツの日」は、1985年に全日本はちみつ協同組合と日本養蜂はちみつ協会によって制定されました。8(はち)3(みつ)の・・・
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空と海が語る教訓の記録日
8月2日という日はわたしたち日本人にとって、この日は「空と海の安全」をあらためて考えるべき記憶の日です。1958年と1965年、わずか7年の間に2つの大きな交通事故がこの日に起こり、多くの命が奪われました。偶然か必然か、8月2日は日本の航空と海運における安全管理の歴史に、深い刻印を残す日となっているのです。 まず、空から消えた33名:1958年 全日空機墜落事故がありました。1958年8月2日、全・・・
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八朔(8月1日)
八朔(はっさく)とは、旧暦の八月一日を指す日本の伝統的な日付であり、かつては五節句や節供と並ぶ重要な節目として、農村部から武家、町人社会に至るまで、さまざまな形で祝われてきました。現代では、その名称が柑橘類の「八朔(はっさく)」という果物にも受け継がれていますが、本来は、季節の移り変わりや人間関係の節目に感謝を表す日だったのです。語源の「朔」は「ついたち」、つまり月の初めの日を意味し、「八朔」は旧・・・
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テレビの夜明けとインターネット時代の新たな幕開け
1952年7月31日、日本の放送史にとって重要な一歩が刻まれました。この日、民間初のテレビ放送局である「日本テレビ放送網(日本テレビ)」が、電波管理委員会からテレビ放送の予備免許第1号を取得したのです。当時はまだ白黒テレビが高嶺の花だった時代でありながら、「映像で情報を伝える」という新しいメディアの登場は、日本の大衆文化と情報社会の方向性を大きく変えることとなりました。 この予備免許の取得は、戦後・・・
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梅干しの日
毎年7月30日は「梅干しの日」です。この記念日は、単なる食材としての梅干しを讃える日ではなく、日本人の生活文化や健康観、さらには自然との調和を象徴する記念日でもあります。「梅干しの日」は、和歌山県みなべ町の「紀州梅の会」によって制定されました。日付の由来は、「梅干しを食べると難が去る」という言い伝えに基づき、「なん(7)」「さ(3)る(0)」と語呂合わせされ、7月30日とされました。この洒落の効い・・・
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開国の扉を開いた「ハリス条約」─1858年7月29日の意味
1858年7月29日、日本とアメリカ合衆国との間で「日米修好通商条約」、通称「ハリス条約」が締結されました。この条約は、江戸幕府による鎖国政策が終わりを告げ、近代日本が国際社会へと歩み出す大きな転換点となりました。表面的には「通商」を目的とする条約でしたが、その内実には当時の国際情勢、幕府の政権維持、攘夷運動の台頭など、複雑な力学が交錯していました。日本が本格的に開国を迫られる契機となったのは、1・・・
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第一次世界大戦開戦
1914年7月28日、オーストリア=ハンガリー帝国がセルビア王国に宣戦布告し、世界史における大きな転換点である第一次世界大戦が幕を開けました。この戦争はわずか一国間の紛争にとどまらず、数週間のうちに列強諸国を巻き込み、世界規模の戦争へと拡大していきました。戦争は1918年11月まで続き、およそ1,600万人もの命を奪い、20世紀の国際秩序に決定的な影響を及ぼすことになります。戦争の直接的なきっかけ・・・
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田中角栄とロッキード事件から見える日本政治の教訓
7月27日は、「政治を考える日」として、日本の戦後政治史におけるひとつの転換点を象徴する日です。1976年のこの日、元内閣総理大臣・田中角栄氏が、航空機導入に絡むロッキード事件で受託収賄容疑により逮捕されました。この逮捕は、日本において初めて現職あるいは元首相が収賄で逮捕されたという、衝撃的なできごとでした。 ロッキード事件とは、アメリカの航空機メーカー「ロッキード社」が、軍用・民間機の導入にあた・・・
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アメリカ障害者法(ADA)の成立とその意義
1990年7月26日、アメリカにおいて歴史的な法律が成立しました。それが「アメリカ障害者法(Americans with Disabilities Act, ADA)」です。この法律は、障害のある人々に対する差別を禁止し、すべての市民が平等に暮らせる社会を目指して制定されたものであり、アメリカのみならず、世界の人権保障の在り方にも大きな影響を与えました。 ADAは、アメリカ合衆国憲法に基づく権利を・・・
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