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手話の雑学14
「少数者の中の少数者」はどうしても自分の殻に閉じこもりやすいという思想の弱点があります。言い換えると「手話はろう者の言語」という命題は自らを閉じ込めていくリスクが大きいのです。聾者の中には、それを「情報が得られないから」と自己弁護する人もいますが、音声情報が入らないから、視点が狭くなる、ということではなく、いくら情報が目の前にあっても、自ら拒否して、自分の世界に閉じこもってしまうことで孤立化します・・・
手話の雑学13
「手話は聾者の言語」という思想の根本は「手話という基準」で人間を分類しようという思想です。この思想の前提として、聴覚障害の有無、つまり「聞こえる」「聞こえない」の二項対立的概念で人間を分類します。この前提すら誤りであることは上記で指摘した通りですが、次に「聞こえない」人つまり聴覚障害者を聴力ではなく、手話の使用で分類しようという思想です。いいかえると手話使用者と非手話使用者で分類していくわけです。・・・
手話の雑学12
一見バラバラに見える現象をまとめる方法の1つが「共通性」の発見です。すべてがバラバラという現象は稀有で、ほとんどの現象には共通性があります。この共通性を見つけ出し、そこから法則性を見出していく、ということが古典から今に続く基本的な科学の手法です。一見、バラバラに見えるものでも、共通性を見つけ出して、まとめることで「分類」ができるようになります。言い換えると、変種というのは、正確には「共通性をもった・・・
手話の雑学11
幼児語や母親語を言語変種と考えるなら、それは一人の人間の中で、発達に応じて次々と変種が変わっていく、ということを示しています。こうした個人の変種の変化が総体となって、社会全体に及んでいくのが、社会変種です。ここでまず、個人変種と社会変種という区別があります。もちろん、個人変種と社会変種は無関係な独立した存在なのではなく、個人変種は生物としての発達、つまり言語機能である口腔の発達や手指の発達と脳の発・・・
手話の雑学10
アメリカの英語とアメリカの実社会の関係を手話に置き換えると、手話に対する考え方の誤りがわかります。聾者の多くはテレビで見るような「上手な手話」を求めているわけではなく、「わかりやすい手話」を求めています。この「わかりやすい」という概念は実はなかなかむずかしいのです。なぜなら、人により「わかりやすさ」が異なるからです。子供にとってわかりやすい、老人にとってわかりやすい、高度なコミュニケーションにおい・・・
手話の雑学9
手話の言語習得についていえば、生後から手話環境にある人は希少です。ほとんどは生後かなり経ってから手話を習得します。それを母語と言い切ってしまうのは、むずかしいのです。それを是認するためには、手話学習以前は無言語であったという仮定が必要です。 ここでよく話題になるのが「狼に育てられた子」の話です。これが「無言語」といえるのかどうかについては議論があります。この件を話すと長くなるので、省略しますが、手・・・
手話の雑学8
手話という言語を社会的にどうとらえるか、について、単純に手話を「ろう文化」「ろう社会」と結びつけて不可分な1体という思想があります。キリスト教の三位一体のような捉え方はただしくないことがわかります。しかし、この「聾の三位一体説」は意外に欧米に浸透しており、日本は今でも信じている人が多いのが現状です。 この思想の問題点は、言語と文化と社会(コミュニティ)を一体化させて、1つの民族のように考えようとい・・・
手話の雑学7
ヨーロッパの手話の始まりはフランスの聾教育からであることが知られています。18世紀半ば、ド・レペという神父が手話による聾教育を始めたとされています。ド・レペ神父は聾児たちにフランス語を教えようとして、その手段として手話を用いたわけです。日本では少し誤解が広がっていますが、ド・レペ神父はフランス語を教えるために手話を用いたわけです。日本でいう「日本語対応手話」という表現を借用すれば、「フランス語対応・・・
白露(はくろ)
二十四節気の一つである「白露(はくろ)」は、今年は9月7日です。朝夕の空気がぐっと冷え込み、草花の上に白い露が宿るようになるとされていますが、今年は猛暑の影響で事情が違うようです。暦の上では秋の深まりを告げる節気であり、夏から秋への季節の移ろいを感じさせる大切な節目です。 二十四節気は農耕や生活の目安として長く受け継がれてきました。その一つひとつをさらに細かく分けたのが「七十二候(しちじゅうにこ・・・
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手話の雑学6
アメリカは多様化こそが文化であり、それが政治的分断の原因の1つであることも知られています。他にも、中国の政府は必至に統一を図ろうとしていますが、現実には民族が多様化し、それに伴い言語も多様化しています。言語は「普通話」という北京語を全国に浸透させようとしていますが、実際にはまだ方言が色濃く残っています。宗教は建前上禁止という形で統一を図ってはいても、実際には多様な宗教が残ったままです。料理は日本で・・・
手話の雑学5
身振りは文化と深い関係があることはわかりましたが、ここで文化と言語と民族や宗教との関係を改めて考えてみます。 先に、言語と文化と民族や人種、そして宗教には関連があることを説明しましたが、すべてが一致しているケースはほとんどありません。あるとしたら、ごく一部の少数民族だけです。日本では、「日本は単一民族、単一国家」と主張する人が多いのですが、単一宗教だと唱える人は稀有でしょう。宗教については、むしろ・・・
手話の雑学4
あらためて、日本の手話と身振りを比較してみると、たとえば「自分」を表すために鼻を指差すのは日本独特の文化であり、外国では胸を指差す身振りなので、外国の身振りや手話では、鼻を指差すと「鼻」の意味にしかなりません。日本の手話学ではあまり知られていませんが、「手話には文化的な違いがあるという典型的な例」として、欧米の手話学では知られています。 また、手話の最初の方で習う<男>と<女>は日本では身振りと共・・・
手話の雑学3
よく「手話は世界共通ですか?」という質問を受けます。この背景には「身振りは世界共通」という誤解があるように思われます。私たちは外国人とのコミュニケーションで、ことばによるコミュニケーションがむずかしい、と思うと、いわゆる「身振り、手振り」で伝えようとします。なぜ身振りなどが伝わりやすいと考えるのか不思議ですが、「自然に」そう思ってしまうのです。実際、かなりの程度、意図が伝わります。喜怒哀楽などの表・・・
手話の雑学2
手話の指導法は、先生や地域によって、多少の違いはありますが、全国のどこでも、似たような形式になっています。しかし実用的な側面を考えると、「あなたの名前は何ですか?」という日本語は変です。普通の状況では「お名前を伺っていいですか?」とか「お名前は?」といいます。つまり「あなたの名前は何ですか?」という日本語文は手話表現に合わせた文です。こういう「教科書文」はどの言語教育でも普通に存在します。たとえば・・・
手話の雑学1
9月1日から、欧米やその影響下にある国々では学年や企業の年度が始まります。その理由は農耕社会の季節労働に対応するためだと言われています。夏(6〜8月)は農繁期で、子どもたちが収穫や農作業を手伝うために休暇が必要だったからです。夏の終わりで、収穫が落ち着く頃に教育を再開するのが自然でした。ある意味、欧米でも昔は児童労働が当たり前だったのです。秋は気候や農作業が安定する季節で、勉学に適したタイミングと・・・
社会党再統一
1955年8月31日に日本社会党は左派と右派に分かれていたのが再統一されました。労働運動・平和運動を基盤に一定の勢力を保ちつつ、自由民主党政権と対抗する野党第一党として存在感を示しました。しかし、内部にはもともと左右のイデオロギー的対立が存在しており、現実路線を模索する右派と、革命的社会主義に近い左派の溝は埋まりきっていませんでした。このイデオロギー対立が噴出するかたちで、1959年には右派の一部・・・
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香港の占領から返還までの歩み
1945年8月30日、香港は日本軍の降伏により再びイギリスの統治下に戻りました。この日、イギリス海軍のシリウス号がヴィクトリア・ハーバーに入港し、直後に日本軍の降伏式が行われ、香港は再びイギリス植民地としての統治体制に復帰します。この出来事は、香港の20世紀史における大きな転機であり、ここから1997年の中国返還、そして今日の「一国二制度」下における政治的な揺れ動きに至るまでの複雑な歴史が始まった・・・
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日本初のテレビCM放映
1952年8月29日、日本で初めてのテレビコマーシャル(CM)が放映されました。これは日本テレビが開局する前の公開実験放送で流されたもので、記念すべき「日本初」のCMは、服部時計店(セイコー)によるものでした。時計の秒針が時を刻むシンプルな映像に「精工舎の時計をどうぞ」とナレーションが入る、きわめて簡素なものではありましたが、これが後のテレビ広告文化の幕開けとなります。 1952年は、ちょうどサン・・・
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「ストックホルム症候群」とは何か
1973年8月23日、スウェーデンの首都ストックホルムで発生したある銀行強盗事件が、世界的に有名な心理学的現象を名づけるきっかけとなりました。「ストックホルム症候群(Stockholm Syndrome)」と呼ばれるこの現象は、加害者と被害者の関係性に対する認識を根本から揺さぶるものであり、現代の犯罪心理学にも多大な影響を与えています。 事件の舞台となったのは、ストックホルム中心部にあるクレディッ・・・
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世界初の油井が稼働
1859年8月27日、アメリカ・ペンシルベニア州タイタスビルという静かな田舎町にて、人類史上初めて、石油を意図的に地中から汲み上げる「油井(ゆせい)」が稼働しました。この出来事は、後の世界経済と文明の転換点となる産業の幕開けを告げたものでした。発明者の名はエドウィン・L・ドレーク。彼の挑戦と成功は、「石油時代」の扉を開いた歴史的な瞬間として今も語り継がれています。 19世紀半ば、それまで照明や潤滑・・・
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