やまとことば⑦ ある・いる2



「ある」 と「いる」は動きという意味の他に、文法形式上には大きな違いがあります。「ある」の反対語は「ない」ですが、「いる」の反対語は「いない」です。形式の違いとしては、「ある」には対比的な逆の概念があるのに対し、「いる」は否定による形式です。漢字で考えると「有」の反対は「無」ですが、「在」の反対は「不在」であり、ここでも否定語がつくことで反意を表す形式です。形式的にみると、反意語が存在するか、否定語で否定するかの違いにすぎませんが、語の成立という歴史的には意味のあることです。対立する語がある、ということは、二項対立という哲学的概念の基本として、有用で使いやすいことを示します。いわゆるアリストテレス流の論理展開ができる、ということになります。対立語がなく、否定語により反意語を作るということは一元論、つまり元は1つということを示すことになります。単純な例でいえば、数学のプラス+とマイナス-は対立的で、どちらでもない、という存在が規定されます。電気でいえば、プラスと-と通電していない状態0があります。それに対し、コンピュータなどで使用されている二進法は0と1しかなく、電気的に見れば、有無の変換であって、どちらでもない状態は想定できません。実は概念として、この違いは大きいといえます。

デジタルの世界も本来は1元論ではなければならないわけではないのですが、今は二進法に立脚した手法になっています。その結果、私たちの思考方法も二進法的になり、損か得か、賛成か反対か、敵か味方か、のような価値観に支配されています。アナログの世界は当然、プラスでもマイナスでもないゼロの状態が想定されますから、損でも得でもない、賛成でも反対でもない、敵でも味方でもない、という状態がすぐに想定できます。ところが、近年は肯否疑問つまりyes,noで答えられることが当たり前のような風潮が増えてきました。モノゴトにはどちらかしかない、ということは確かに多いです。犯人か犯人でないか、有罪か無罪か、という黒白がはっきりする場合も多いのですが、いわゆるグレーな部分、つまりどちらともいえないこともたくさんあります。「好きか嫌いか、はっきりせよ」といわれても、答えにつまることは多いですし、「わかったの?わからないの?」と問い詰められても、「なんとなくわかったような気がする」ことは多いと思います。「行くか、行かないか」という状態でも「迷っていて動けない」ことはいくらでもあります。現状のデジタルシステムはこうした「曖昧な状態」の処理が苦手です。それは根本思想が二進法だからです。ここから脱するには、まず一元論から抜け出さなくてはなりません。

話が飛びますが、日本文化の底流にある陰陽道は陰と陽の二元論ですが、陰と陽しかないのではなく、両者が打ち消し合った状態も認めています。たとえば太陽(日)の次が太陰(月)で、次が中陽(火)、その次が中陰(水)、次が小陽(木)、次が小陰(金)と相互に打ち消し合うように配置され、最後はどちらでもない(土)という順に曜日が配置されています。こういうバランス感覚が日本文化の根本を形成しています。

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