やまとことば⑫ みる2



「~てみる」はどういうものか、結果を確かめるために実際に行為をすることで、意志動詞につきます。よくわからないから試しにちょっとしてみるという意味なので、「ちょっと」の度合いを超えている場合は使いにくいです。「このカレーはすごくおいしいので、たくさん食べてみてください。」は違和感がありませんか?間違っていないけど、ちょっと変な感じがするのは「たくさん」があるからで、「このカレーはすごくおいしいから、ちょっと食べてみてください。」ならすっきりします。つまり「お試し」は「少しだけ」という前提があります。試食品を大量に食べたり、試供品をごっそり持っていくのはルール違反という文化が前提になっています。このように文化的規範は言語にも反映されています。「~てみる」は最近省略傾向にあり、「これうまいよ。食べてみて。」が「食べてみ」という形に変化した例がよく見られます。「これめっちゃうまいよ。食べてみ。」はもう一般的かもしれません。昔は若い男性とか関西方言によく見られた現象ですが、今はそういうニュアンスは感じられなくなりました。また「ドカンと一発やってみよう」のように「よう」という勧誘と一緒になることも多いです。また「~てみる」には遠慮がちな気持ちを表し、聞き手に対して丁寧な印象を与えるという用法もあります。「もう一度先生の授業を受けてみたいです。」のように、直接的に希望を伝えるのではなく、一歩引いた感じで控えめに気持ちを伝える場合に使われます。また「学生時代の友達に会って、また色々な話をしてみたいです。」のように、可能性が低そうなことを前提とした願望を表すこともあります。「一度、ハワイに行ってみたいです」はハワイに行ったことがないので、「一度」をつけることで強い願望になります。こういう表現のニュアンスは、文法的な分類は可能ですが、文法として覚えるよりは、むしろ実際の場面や経験から学ぶことが多いので、日本語を外国人に教える際には、なかなか難しい側面があります。日本語の敬語法の、尊敬、丁寧、謙譲などのニュアンスは使い分けがむずかしく、日本人でも相当の社会経験を要します。いわゆる社会成熟度が重要ですが、これは歴史とともに社会が変化していくので、どういう社会に適応していくか、という内容も変わっていきます。近年の日本社会はだんだんそうした敬語法が雑になっていると思われます。その結果、日本文化にあった奥ゆかしさ、優雅さ、などは減っていくことになります。しかし文化というものは一方的に減衰するばかりでなく、反動として復古する場合もあります。振り子のように行ったり来たりするように流行が変わります。一方で外国語との接触が大きな影響を及ぼす場合もあります。日本の歴史上も外国に影響されたり、国風が広がった時代もあります。言語はそうした歴史的変化を知る手段でもあり、古文書は化石と同様に昔を知る重要な手段です。やまとことばは古文書の時代から今も続く語彙が多く、変化も少ないので、これからもずっと残っていくだろうことが予想されます。それも日本文化の伝承であることを改めて認識したいところです。

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