やまとことば⑬ 気1
「気」という語はやまとことばにしては珍しく常に漢字で表記されます。これまで解説してきたのは動詞ですが、気は名詞です。気が常に漢字で表されるのは古代中国語の思想が反映しているという解説が多いのですが、すでに多くの派生語ができており、やまとことばと考えてよいと思われます。「気」とは何か、といわれると説明に困ります。哲学的解説としては(Wikipedia)かなり長いものになり「気息、つまり息の概念がかかわっている。しかしそうした霊的・生命的気息の概念が、雲気・水蒸気と区別されずに捉えられた大気の概念とひとつのものであるとみなされることによってはじめて、思想上の概念としての「気」が成立する。雲は大気の凝結として捉えられ、風は大気の流動であり、その同じ大気が呼吸されることで体内に充満し、循環して、身体を賦活する生命力として働く。つまり、ミクロコスモスである人間身体の呼吸とマクロコスモスである自然の気象との間に、大気を通じて、ダイナミックな流動性としての連続性と対応を見出し、そこに霊的で生命的な原理を見るというアイディアが、気という概念の原型なのである。」何とも漠然としていてわかりにくいです。続けて「一方では人間は息をすることで生きているという素朴な経験事実から、人間を内側から満たし、それに生き物としての勢力や元気を与えている、あるいはそもそも活かしているものが気息であるという概念が生まれる。そしてまたそこには、精神性、霊的な次元も、生命的な次元と区別されずに含まれている。ただし、精神的な次元は、後代には理の概念によって総括され、生命的な力としてのニュアンスのほうが強まっていく。(中略)
「他方では、息は大気と連続的なものであるから、気象、すなわち天気などの自然の流動とも関係付けられ、その原理であるとも考えられていく。自然のマクロな事象の動的原理としての大気という経験的事実から、大気にかかわる気象関連の現象だけでなく、あらゆる自然現象も、ひとつの気の流動・離合集散によって説明される。この霊的な生命力として把握された気息であり、かつ万象の変化流動の原理でもあるという原点から、ついには、生命力を与えるエネルギー的なものであるのみならず、物の素材的な基礎、普遍的な媒質とまで宋学では考えられるようになった。こうした由来ゆえに、気は、一方では霊的・生命的・動的な原理としての形而上的側面をもちながら、物質的な形而下的側面も持つという二重性を持つことになった。気は、物に宿り、それを動かすエネルギー的原理であると同時に、その物を構成し、素材となっている普遍的物質でもある。」と説明されます。なるほど私たちが漠然と使っている「気」には深く広い哲学があり、故に私たちが漠然としてしか理解できないのもわかります。それで「気持ち」「気配り」「気おくれ」などのように動詞がつくことで具体的になり、「天気」「元気」「空気」などのように漢語になることで具体的な名詞になり意味がつかみやすくなっています。それらの具体的な語彙が日本語の基本的な語彙になっているのは、長い歴史があったことが想像されます。
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