やまとことば⑭ 気2



「気」を組み合わせてできている語はほとんど言い換えができません。「天気」「空気」「雰囲気」などの漢語から、「気を回す」「気をつける」「気がつく」など形式上は目的語名詞であっても、1語の動詞のような印象をもつ語もたくさんあります。実際、これらの漢語や組み合わせ語は外国語に訳す場合は1語になるか、対応する訳語がないため、長い説明となるか、のどちらかになります。これはそもそも「気」に該当する語がないからです。「気」は多義語というレベルをはるかに超えています。どの外国語にもそういう語がありますが、日本語の「気」はそういう特殊な語です。欧米の言語だと、日本語で「愛」と訳すloveに相当する語があります。そこで日本語にする場合は「隣人愛」「恋愛」「家族愛」のように別の語を組み合わせることで具体化しています。最近、「空気を読む」という動詞の意味が重要視され、同調圧力とか、仲間意識の重要な要因であることが指摘されています。「空気を読む」とは物理的には不可能なことで、空気は透明ですし、文字化されていないので、読みようがありません。その場に流れている雰囲気や意味空間をきちんと捕捉して、それに合う適切な行動をすることを「空気を読む」と表現しているようです。そしてそれができない人をKYと称して排除する行動が見られます。こういう言動が始まったのはテレビの芸人の間だったような記憶ですが、テレビのショウなどでは、発言者と発言が制限されており、暗黙の発言順位ルールが設定されています。しかし「目立ってナンボ」の芸人にとっては「足跡を残す」「爪痕を残す」つまり印象深くするには、ルール破りも必要です。それを暗黙的に制御するものが「スタジオの空気」というわけです。それがテレビの影響もあって、一般社会にも援用されていったという歴史があります。「空気を読む」は昔、「顔色を窺う」と表現されていました。この顔色を窺うという行為は、ひっそりと息を潜めていなければ、生きていけなかった時代の名残です。もし農民が裏で莫大に儲けているのがばれたら、年貢や上納金は増え、豪遊した者は打ち首にされてしまったという歴史があります。空気を読まないことは、イコール死を意味していました。このような時代背景から、特に日本人は空気を読むことで「身を護っていた」とされています。そうであれば、これは農民文化ということになりますが、実は顔色を窺うのは農民だけでなく、上司を気にする武家や公家も同じであり、いわば日本文化の基底にあるものと考えた方がよさそうです。実際、今は農民も少なくなり、サラリーマン社会、政治社会、若者社会など幅広く日本社会全体を支配しているといえます。日本には「阿吽(あうん)の呼吸」「以心伝心」「魚心あれば水心」など言語化されない非言語伝達が多く存在します。また「気」にはキという音の他にケという音もあります。「人気」のように、ヒトケと読んだり、ニンキと読んだり、状況で読み方が変わる語もあって、日本語学習者を悩ませます。日本人でも「人気がない」を「ヒトケがない」か「ニンキがない」かは文全体を見ないと判定できないのですから厄介です。

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