土用の丑の日
8月5日は旧暦文月(7月)2日で辛丑(かのとうし)です。本来なら、この日が土用の丑の日です。先日の新暦丑の日に食べそこなった人、あるいはまた鰻を食べたい人はチャンスです。もしかすると多少鰻が安いかもしれません。本来、と言う意味は、土用丑に鰻を食べるという習慣は江戸時代の平賀源内が決めたものなのだからです。新暦は明治5年以降ですから、源内先生の教えに素直に従うなら、文月2日に食べるべきです。とはいえ、そんなに固いコト言わずに、たくさん鰻を食べて夏を乗り切るのが源内先生の本来の教えです。夏の間、いつでも良いのではないでしょうか。鰻にはビタミンEが豊富にあり、疲れを取るにはもってこいの食品です。無論源内先生がビタミンのことなど知るはずはないのですが、昔から滋養があることは経験的に知られていたので、その知識を源内先生は公告に応用したのだと思われます。こうした旧暦の習慣を新暦に置き換えるのは、もう当たり前になっていて、誰も疑いませんが、季節感は旧暦の方が自然に近いので、改めて旧暦の習慣を調べて楽しむのもよいと思います。意外に心が「整う」かもしれません。
鰻料理といえば、鰻丼と鰻重が代表的ですが、最近は「ひつまぶし」も増えてきました。ひつまぶしは名古屋発祥で、御櫃に入れてでてくるので、その名があるという説が一般的ですが、「まぶす」というのは乗せるという意味だそうです。津市発祥という説もあり、切れ端がもったいないので、まとめてご飯に乗せて、薬味とワサビを入れてお茶漬けにしたのが最初だそうです。元はまかない飯だったとか。名古屋の方は「熱田蓬莱軒」という熱田神宮内にある老舗の鰻屋が明治時代、鰻飯を1人前ずつ瀬戸物の丼に盛って提供していたが、出前が多かったことに加え、出前持ちが出前を下げに行く際に空の丼を割って戻ってくることが頻繁にあったため、器を大きめで割れにくい木の器(お櫃)にし、かつ複数人分をその器に盛って取り分けるようにしたのが始まりである、とされています。いつの間にかたくさんの鰻を三度に分けて食べる習慣となりました。昔、蓬莱軒に行くと、食べる前に仲居さんがしっかり説明してくれ、それが終わらないとたべさせてもらえなかった記憶があります。ひつまぶしにはお茶をかけるスタイルとダシ汁をかけるスタイルがあります。また名古屋とその周辺には鰻丼にとろろをかけるスタイルもありますが、こちらはあまり普及していないようです。最近は細かく短冊に切ったものがすべて「ひつまぶし」という傾向も出てきて、後で飯に短冊状のものを乗せて、お茶漬けにするものを「ひつまぶし」と呼ぶ店もあります。「とんかつ、ひつまぶし」には驚いたことがあります。トンカツ茶漬けも珍しいですが、とんかつひつまぶし、はもっと不思議な気がしました。なお関西地方周辺では元来、うな丼のことを「まむし」あるいは「まぶし」と呼んでいて、「お櫃に入れたまぶし」の意とする説。名古屋周辺では「まぶす」を「まむす」ということから京阪地方の「まむし」は無関係であるとの見解。「間蒸し」「飯(まま)蒸し」「鰻飯(まんめし)」の転訛説などをお楽しみください。
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