生類憐みの令
貞享二年文月十四日、江戸幕府は生類憐み(しょうるいあわれみ)の令を出したというのが通説ですが、歴史学者の間では議論があるようです。というのも生類憐みの令というのは一連の政策だからです。一般には犬公方(いぬくぼう)という綽(あだ)名と共に、お犬様の話ばかりが強調され悪法という例によく出されます。では現代の動物愛護法とどこが異なるのか考えてみます。日本の動物愛護法は欧米のキリスト教的な動物観が背景にあります。キリスト教の基本は神は万物を創造されたのですが、その中で人間は神に似た存在として他の生物とは異なる存在であり、神が人間を慈しむように、人は動物を慈しみなさい、という教えです。それが間違いということではなく、仏教の教えの中で日本の仏教では、悉有仏性(しつうぶっしょう)といい、万物には仏性が宿っているので、万物を大切にしなさい、という教えになっています。この点はキリスト教とほぼ同じかもしれません。そして生命のあるものは輪廻転生(りんねてんしょう)として永遠に続くもので、人は動物(畜生ちくしょう)に生まれ変わることも、畜生から生まれ変わることもあり、人は仏(菩薩)にもなり、菩薩が人になることもある、という教えです。いわば動物と人と仏が一体になっている点が、神と人と生物を三層に分ける思想とは根本的に異なっています。キリスト教が階層構造になっているのに対し、仏教では螺旋構造になっているわけです。
生類憐みの令が発布される前から、動物を大切にする思想は古来からあり、命あるものを大切にする教えは仏教の伝来以降、日本で発達した日本仏教の根本でした。生類憐みの令も突然出現したものではなく、戦国時代が終わり平和な江戸時代になって、巻き狩りのような模擬戦闘訓練が減ってきても、鷹や犬を大切にする気風は残っていて、犬を殺すことを禁じている藩は多かったのです。それで犬を虐殺した罪で死罪になった例もありました。貞享元年(1684)会津藩から鷹を献上する必要がないという通達を受けたり、貞享二年には鉄砲を領主の許可なしに使用してはならない、つまり山野の鳥獣を勝手に殺すな、という法令が出たり、将軍の御成の際に犬や猫をつなぐ必要はないという法令が出たのが、いわゆるお犬様のことで、これをもって生類憐みの令の発布とされているわけです。貞享四年には、病気の牛馬を捨てることを禁じた法令が出され、この法令が生類憐みの令の最初であるという説が長い間定説化していた時代もありました。現代のようなペットブームと違い、当時の犬猫はほとんどが野良で、山野には鳥獣が多くいました。その分、被害もあり適宜間引いていたのですが、それを禁止したわけですが、一方で病気の蔓延や被害を減らすため、犬猫は一か所に集め、幕府から禄(予算)を回して世話役を付けて保護したので、現在の多頭飼いとは違い、保護センターと同じ発想でした。問題は強権的過ぎて刑罰が厳しすぎたことにあり、今風にいえば人権上の問題はありました。保護対象は捨て子や病人、高齢者、そして動物であり、今日の福祉の考えと同じです。冷静に概観すると悪法とまではいえないと思います。木を見て森をみない、ことにならないように改めて考えたいことです。
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