貝原益軒



8月27日は益軒忌です。本来は旧暦ですべきものですが、明治以降は新暦に読み替えて行事をするのが通例なので、それに合わせて本日ご紹介します。貝原益軒(かいばら えきけん、1630~1714年)は江戸時代前期~中期の儒学者・本草学者です。本草学者とは文字通りの意味では植物学者ですが、実際には博物学者のことです。あの平賀源内も本草学者です。Wikipediaの紹介では「1630年(寛永7年)11月14日、筑前国(現:福岡県)に五男として生まれる。名は篤信(あつのぶ)。字は子誠(しせい)。通称は久兵衛。別号に損軒(そんけん)。祖父の代より黒田氏に仕える。父や兄に医学・漢学を学ぶ。1648年(慶安元年)18歳で福岡藩に仕えるが、第2代藩主・武断派の黒田忠之(くろだ ただゆき)の怒りに触れ、7年間の浪人生活を送る。その間、医学修業に励む。 1656年(明暦2年)26歳の時、第3代藩主・文治派の黒田光之(くろだ みつゆき)に許され、藩医となる。藩命により京都に遊学し、医薬に関する本草学(ほんぞうがく)や陽明学、朱子学などを学ぶ。この頃、儒学者・木下順庵(きのした じゅんあん)、山崎闇斎(やまざき あんさい)、松永尺五(まつなが しゃくご)らと交友を深める。1664年(寛文4年)34歳の時、帰藩。1699年(元禄12年)69歳で役を退き、著述業に専念。教育・医学・本草・歴史などにも功績を残す。1714年(正徳4年)8月27日、84歳で死去。著書には、歴史書『黒田家譜(くろだかふ)』(1688年)、本草書『大和本草(やまとほんぞう)』(1709年)、教育書『和俗童子訓(わぞくどうじくん)』(1710年)、養生(健康)についての指南書『養生訓(ようじょうくん)』(1713年)、随筆『慎思録(しんしろく)』(1714年)などがある。」となっています。この中で「養生訓」が有名で、長寿を全うするための身体の養生だけでなく、精神の養生も説いているところに特徴があります。一般向けの生活心得書であり、広く人々に愛読されたため、今日でもいくつかの教訓が残っています。『孟子』の君子の三楽にちなみ、養生の視点からの「三楽」として次のものが挙げられています。1.道を行い、善を積むことを楽しむ、2. 病にかかることの無い健康な生活を快く楽しむ、3.長寿を楽しむ、ことです。また、その長寿を全うするための条件として、自分の内外の条件が指摘されています。まず自らの内にある四つの欲を抑えるため、次のものを我慢することを勧めています。1.あれこれ食べてみたいという食欲、2.色欲、3.むやみに眠りたがる欲、4.徒らに喋りたがる欲です。今日でも必要な抑制です。さらに、季節ごとの気温や湿度などの変化に合わせた体調の管理をすることにより、初めて健康な身体での長寿が得られるものとします。これらすべてが自身の実体験で、益軒の妻もそのままに実践し、晩年も夫婦で福岡から京都など物見遊山の旅に出かけるなど、仲睦まじく長生きしたといいます。こうした益軒の説くことは、今日の一次予防に繋がるものであり、医学的知識が今日ほど発達していなかった時代には有益な情報だったといえますが、その精神は今日でも通じるものがあります。

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