品質とコスパ



最近はコスパという表現が世間の口に膾炙するようになり、さらにはタイパなる新語もでてきています。コスパはコストパフォーマンスの略で、費用対効果つまり掛けたお金に見合うだけの効果が得られるかどうかの計算のことです。同じ思想を時間に敷衍して、タイパとは掛けた時間に見合う効果があるかどうか、という価値判断基準です。ここでいうパフォーマンスというのはどこまで理解されているかに疑問が残ります。コスパが高いとは、支払ったコストに対して得られるパフォーマンスが十分に高いことを意味します。つまり、同じコストであれば、より良い結果や効果を得ることができる商品やサービスのことを指します。元の専門用語では、一般的にコストは「費用」を指しますが、場合によっては「時間」「労力」「精神的な負担」なども含まれます。つまりタイパは誤解なのです。コストに時間も含まれているのです。コストを金銭と解することは誤解なのです。パフォーマンスの方も元来は品質や価値を意味していましたが、一般には満足感などと思われています。そうなると、パフォーマンスは個人差があり、客観的な指標にはならなくなります。コスパを一部の人々はそれを正確に理解せず、単純に価格の安さや高さ、あるいは損得を指す言葉として使ってしまうことがあります。コスパは費用とその結果とのバランスを表すものであり、価格だけではなく、得られる効果や品質も含まれます。単純な損得勘定なら、「安かろう、悪かろう」でもコスパがよいことになります。「高くて良いもの」は当たり前で、「安くて良いもの」がコスパがよい、という判断結果になります。ここでいう「良い」というのは何を指すのかが曖昧です。個人的価値判断なら、「良いもの」にかなり差があります。しかし品質は誰が見ても判断できるもので、共通性があります。価格重視であれば、品質が低くても満足感があればよい、得した感覚があればよい、というのが一般のコスパ感覚かもしれません。とくに生産者が価格重視になると、顧客のコスパ感覚とのギャップが次第にでてきます。価格は本来は供給と需要のバランスで決まるものですが、市場が供給過剰になると当然価格競争になり、次第に品質が低下していき、顧客の需要が減ります。商品が不足している状態であれば、すなわち需要過剰であれば、価格は上昇します。その時はコスパが低くても売れます。その結果、生産者が急激に増大し、供給過剰になります。この経済原理からすると、品質は購入者のコスパ感覚だけでなく、需要と供給のバランスによっても左右されます。そして品質の向上が需要を喚起するわけです。すなわち「良いものは売れる」ということになります。しかし良いもの、品質の高いものを生産するには、コストがかかります。つまりコスパというのは購入者の感覚というよりは、生産者にとって、コストをかけて投資した結果、期待通りの売り上げ、つまりパフォーマンスがえられるかどうか、という指標として機能していたのが本来です。コスパといわずCPという用語でした。CPは生産者、コスパは消費者という使い分けになっているかもしれません。

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