不立文字と宗教の歴史



宗教は言語に深い相互関係があることは明確ですが、一方で、その関係を離脱しようという思想もあります。禅宗では「不立文字、教外別伝、直指人心、見性成仏」といい、経典の言葉から離れて、ひたすら坐禅することによって釈尊の悟りを直接体験する、という禅の根本を示す表現として知られています。いわば言語によらず、実体験により悟るという考えです。体験による悟りは禅宗だけでなく、また座禅だけでなく、いろいろな修行があります。過酷ともいえる修行もあり、天台宗の千日回峰行など長期のものもあります。西洋においても、修道院での無言の行など、言語によらない「天啓」を得る行もあります。宗教と言語との深い関係へのアンチテーゼともいえますが、逆にいえば、それだけ宗教と言語の関係が深いともいえます。日本の仏教は時代ともに変化し、飛鳥時代に渡来した仏教は政治的側面が強く、聖徳太子は仏教により蘇我氏と物部氏による豪族の争いを収めようとしたのですが、奈良時代になると、さらに多くの宗派が渡来し、それぞれに寺を建てます。それがいわゆる南都六宗(なんとりくしゅう)です。三論宗(さんろんしゅう、中論・十二門論・百論)、成実宗(じょうじつしゅう、成実論)、 法相宗(ほっそうしゅう、唯識)、倶舎宗(くしゃしゅう、説一切有部)、華厳宗(けごんしゅう、華厳経)、律宗(りっしゅう、四分律)があり、現在も法相宗(興福寺、薬師寺)、華厳宗(東大寺)、唐招提寺(律州)など奈良を代表する寺院になっています。平安時代になると、密教が伝来し、天台宗(比叡山延暦寺)、真言宗(高野山金剛峰寺)などが建立されました。密教は真言という原語の呪文を重要視する一方、密儀や印形(いんぎょう)という勧請による相伝により僧が独占する、という制度が確立し、僧は修行が義務付けられました。鎌倉時代になると、権威的な密教に対して、一種の宗教革命である民衆を救済する(衆生済度)ことを主眼とした鎌倉仏教が盛んになり、浄土宗、浄土真宗、禅宗(臨済宗、曹洞宗)、日蓮宗、時宗が生まれました。言語との関係でいえば、長いお経を庶民が読むのは無理であり、簡単に念仏を唱えれば浄土に行ける、という思想なので、言霊思想はより強化されたといえそうです。現在の日本の仏教の多くは鎌倉仏教の宗派が多数を占めています。ここまでの仏教の信仰は奈良時代が知的エリート層、平安時代は貴族層、鎌倉時代に武士層と庶民層へと広がっていったといえます。次の安土桃山時代、室町時代になると、織田信長のような「無神論者」も登場し、イエズス会などのキリスト教カトリックが西洋から流入するようになり、仏教は権力者から弾圧を受ける時代になります。仏教側も奈良・平安時代のような学問的な雰囲気から、室町時代以降は鎌倉時代の浄土思想や末法思想を引き継ぎ、いわゆる「葬式仏教」になっていきます。葬式は元々は修行によって亡くなった僧への供養であり、庶民への広がったのは曹洞宗の影響だとされています。江戸時代はキリスト教の禁止とともに、檀家制度が確立し、神道や儒教の普及により、いろいろな宗教や思想による多様化が進みました。

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