満月とフルムーン


中秋の名月

昨日の9月17日が旧暦八月十五日で十五夜ですが、本当の満月は本日18日夜です。月の満ち欠けの周期は13.9日~15.6日と変動し、いつも15日とは限りません。そのため2024年の満月は9月18日が満月です。満月は英語だとfull moonですが、その意味は日本とはかなり違います。日本では「お月見」として、月を愛でる習慣があります。中国でも同様に月を愛でる習慣があり、唐の詩人王建は有名な詩(七言絶句)、中庭地白樹棲鴉 冷露無声湿桂花 今夜月明人尽望 不知秋思在誰家(中庭 地白うして樹に鴉棲(す)み、冷露(れいろ)声無く桂花(けいか)を湿(うるお)す、今夜 月明(げつめい)人尽(ことごと)く望むも、知らず秋思(しゅうし) 誰(た)が家にか在る)を読んでいます。中庭 とは母屋(おもや)の正面にある庭。地白は 月光で地面が白く輝いている様子。鴉 はからす。棲は ねぐらにつく、ことです。ここでは月光の明るさで木に棲む鴉までが見えている様子を表現しています。次の句は、冷露 は 冷やかな露。無声 は音もなく。桂花 は木犀もくせいの花のこと。月に桂樹が生えているという伝説があり、その伝説に因ちなんでいったものだそうです。湿 は しっとりと濡らすの意味。3行目の月明 は月あかり。明るい月の光。満月の光のこと。ここでは 十五夜の名月。 中秋の名月を意味します。人尽望 は誰しも眺めていることであろう。最後の行は、不知は~だろうか。~かしら。ということ。秋思は(明月を誰しも眺めているだろうが、中でも最も)秋の思いにふけっている人。秋の情緒を心に深く味わっている人。在誰家は いったい誰であろうか。の意味。日本人とは情緒が違いますが、唐詩には別の良さがあり、昔の日本人は漢詩を楽しむことも多かったようです。平安時代の男子貴族は漢詩を読んだり、漢詩を作ることもしていて、会を催していました。無論、和歌を詠むことも好まれていました。一方、西洋では満月は不吉の象徴であり、人を狂わす力があると信じられていました。英語のlunaticはラテン語のlunaに由来していますし、フランス語では今もlunaといいます。なぜ月が「人を狂わす」ということなのかというと「月の変化が断続的な精神異常をもたらす」という説があります。なぜ、月の変化が精神の異常や狂気と結びつけられて考えられるようになったかというと、月の満ち欠けが、人間の性格を表しているということから来ているというものがあります。月は満月になって、だんだんやせ細って最後にはなくなってしまいます。人間の性格も時には満月のように丸々としているかと思えば、細い月のように変わります。また、夜に輝く月という存在が、人間の心の奥底を照らしているということから、人間の裏に隠された狂気のような性格、ということを月が表している、つまり太陽が「表」の姿で、月が裏の姿であると考えられたという説もあります。いずれにしても、中世のヨーロッパで、「月の光を浴びると気が狂う」というようなことが信じられてきました。狼男の伝説なども、このあたりが起源になっているといえます。文化によって、月の見方も変わるものです。

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