王権神授説


ルイ14世

宗教と政治の分離、いわゆる政教分離は理想論であり、現実は恒久平和と同じで題目に過ぎません。学校で習ったはずですが、一応復習します。王権神授説は中世ヨーロッパを中心に広まった政治思想で、王や皇帝の権威は神によって授けられたものであり、その権力は絶対的で不可侵であるとする考え方です。この思想は、王制や専制君主制の正当化に用いられました。王権神授説の起源は、ローマ帝国時代に遡ります。4世紀にキリスト教がローマ帝国の国教となり、皇帝は「神の代理人」と見なされるようになりました。この流れが中世ヨーロッパの王権神授説へとつながります。主要な提唱者は 16世紀フランスの法学者ジャン・ボダンや、イングランドのロバート・フィルマーです。ボダンは『国家論』(1576年)で、フィルマーは『父権論(Patriarcha)』(1680年)でこの思想を展開しました。王権神授説は、絶対王政の確立に大きな役割を果たしました。特にフランスのルイ14世やイングランドのジェームズ1世がこの思想を支持し、中央集権的な国家体制を強化しました。しかし17世紀には清教徒革命や名誉革命などの市民革命が起こり、議会王政が確立されました。また、トマス・ホッブズやジョン・ロックによる社会契約説が登場し、王権神授説は次第に否定されていきました。今日では、王権神授説は歴史的な遺産として理解されており、憲法君主制の名残として一部の儀式にその影響が見られます。(wikipediaなど)この解説だと日本に関係ない西洋の話、ということになってしまいますが、中東ではどうなのでしょうか。それにアラビアには王族がいますが、この王様は、サウジアラビアの歴史上、1744年に宗教改革者のムハンマド・ブン・アブドゥルワッハーブと、アラビア半島中央部の地方支配者のムハンマド・ブン・サウードが協力して独立国を建てたときに始まったとされています。神授説ではなく、政教の盟約によって成立したわけです。アジアの中でも、タイ王国の歴史は複雑で、それまでクメール帝国支配下であったのが、地元のタイの統治者であるフォークンバンクランハオが抵抗し1238年にスコータイ王国の最初の王となったとされています。タイは仏教国ですが、仏から与えられた王権ではありません。現在の国王は、憲法によればその地位は「尊敬し崇拝すべき地位」(第8条)として人民の最高点に立つ人物とされており、「タイ軍の総帥」(第9条)として軍隊の中で最高の階級が与えられ、「仏教徒であり且つ宗教の保護者」(第10条)として宗教界の頂点に立つとされているそうです。つまり絶対的存在であって、生き仏のような感じになっています。日本は世界からは仏教国とみなされていますが、天皇は神の子孫であって、神道の祭司という地位で、憲法上は象徴という曖昧な定義になっています。形式的には国事行為を遂行するのですが、決定権はありませんから、実質上、政治からは分離されています。王権神授説とはまったく異なります。このように王位というのは、国によって、また宗教によって、様々な形態があり、米国大統領ですら所属する教会の宗教で宣誓するくらいですから、政教分離はタテマエです。

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