対日戦勝記念日
9月2日は日本以外の国で対日戦勝記念日となっています。つまり日本が正式に敗戦したのはこの日なのです。といっても世界が同時に対日戦勝記念をしているわけではありません。そもそも時差があって同日にはならないのです。Wikipediaからの引用をします。
対日戦勝記念日(たいにちせんしょうきねんび)とは、連合国の第二次世界大戦における日本に対する戦勝記念日である。英語: Victory over Japan Day, VJ Day, Victory in the Pacific Day, VP Day とも言うが、略称としては VJ Day が一般的である。
伝統的な戦時国際法においては、休戦協定の合意は口頭による同意によればよく、文書の手交を要件としない。このため休戦が協定された日と休戦協定が外交文書(降伏文書)として固定された日は異なり、実際に各地の戦線で休戦が合意された日もまた異なる。対日戦勝記念日とされる場合、通常は、日本政府が公式にポツダム宣言による降伏文書に調印した1945年(昭和20年)9月2日を指す。なお、同じく連合国の中華民国やソビエト社会主義共和国連邦の対日戦勝記念日は、その翌日9月3日である。
1945年8月14日、日本政府は連合国に対してポツダム宣言を受諾する旨を、スイス政府経由でアメリカ合衆国大統領トルーマンに電信した。翌8月15日正午、昭和天皇の玉音放送によって、このことが国民に向けて公表され、日本軍に対して『停戦命令』を発布した。同年9月2日、昭和天皇は「降伏文書調印に関する詔書」を発し、降伏文書への署名及びその履行等を命じた。これに基づき、同日、東京湾上のアメリカ戦艦ミズーリにおいて、日本側を代表して重光葵外相、梅津美治郎参謀総長、連合国を代表して連合国最高司令官のマッカーサーが降伏文書に署名した。
日本が終戦記念日としているのは玉音放送の日なのです。そしてその後は米軍が進駐し占領下に入りました。英語でOccupied Japanというので占領です。1951年9月8日に第二次世界大戦・太平洋戦争後に関連して連合国諸国と日本との間に締結されたのがサンフランシスコ平和条約で、この公布が翌年の1952年(昭和27年)4月28日でこの日に晴れて占領が解除され、日本は再び独立国となりました。その意味では4月28日を終戦記念日または再独立記念日として大々的に祝典を開くべきかもしれません。終戦というのは戦いを止めるということなのですが、実際に戦争が終わるのは平和条約の締結です。その意味ではソ連=ロシアとはいまだに平和条約を締結していないので休戦中というのが正しいかもしれません。
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